1965年メキシコGPでの奇跡
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「リッチー・ギンサー」の記事における「1965年メキシコGPでの奇跡」の解説
メキシコグランプリが開催されるエルマノス・ロドリゲス・サーキットは標高2,200メートルの高地に在る。中村良夫はここに目をつけ、グランプリ開催直前にテストを敢行。高地気圧条件、燃料噴射セッティング、高温対策に徹底的に取り組み、グランプリを迎えることとなる。また、中村良夫は元々中島飛行機出身であり、当時航空機エンジンに携わっていたことから、高地と言えども航空機の経験が有る為、他チームより優れたセッティングも可能であった。 予選は、ジム・クラークがポールポジションを獲得し、ブラバムのダン・ガーニーが2番手。そして、ホンダを駆るギンサーは3番手に付けた。因みに、この時のマシンは予選時からポールポジション奪取も可能な程の好調振りで、ギンサーはポールポジション獲得に向けタイムアタックに向かおうとしたが、本戦での優勝を期していた中村良夫に『決勝に向けてのマシン温存』を説かれ自重しての予選3位であった。 このマシン温存策が功を奏したのか、スタートダッシュの利かないジム・クラークのロータスを尻目にトップに踊り出たギンサーは、一度も首位を譲る事無くトップでフィニッシュラインを駆け抜けたのである。 このレースを指揮した中村良夫は、コース内の電信局からホンダ本社に向け"Veni Vidi Vici" (来た、見た、勝ったと言う意味のカエサルの戦勝報告)の一文を送信、デビュー以来わずか11戦目の快挙だった。それはまた、アメリカ人ギンサーとグッドイヤー・タイヤにとっても記念すべきF1初優勝となった。もう一台のロニー・バックナムも5位入賞。5年間続いた1.5リッターF1時代最後の一戦でホンダは勝利をものにした。
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