1965年メキシコGPでの奇跡とは? わかりやすく解説

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1965年メキシコGPでの奇跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 04:51 UTC 版)

リッチー・ギンサー」の記事における「1965年メキシコGPでの奇跡」の解説

メキシコグランプリ開催されるエルマノス・ロドリゲス・サーキット標高2,200メートル高地在る中村良夫はここに目をつけ、グランプリ開催直前テスト敢行高地気圧条件燃料噴射セッティング高温対策徹底的に取り組みグランプリ迎えることとなる。また、中村良夫は元々中島飛行機出身であり、当時航空機エンジン携わっていたことから、高地と言えども航空機経験有る為、他チームより優れたセッティングも可能であった予選は、ジム・クラークポールポジション獲得しブラバムダン・ガーニー2番手。そして、ホンダ駆るギンサーは3番に付けた。因みに、この時のマシン予選時からポールポジション奪取可能な程の好調振りで、ギンサーはポールポジション獲得に向けタイムアタック向かおうとしたが、本戦での優勝期していた中村良夫に『決勝向けてマシン温存』を説かれ自重して予選3位であった。 このマシン温存策が功を奏したのか、スタートダッシュ利かないジム・クラークロータス尻目にトップ踊り出たギンサーは、一度首位を譲る事無くトップフィニッシュライン駆け抜けのである。 このレース指揮した中村良夫は、コース内の電信局からホンダ本社に向け"Veni Vidi Vici" (来た、見た、勝ったと言う意味のカエサル戦勝報告)の一文送信デビュー以来わずか11戦目の快挙だった。それはまた、アメリカ人ギンサーとグッドイヤー・タイヤにとっても記念すべきF1初優勝となった。もう一台ロニー・バックナムも5位入賞5年続いた1.5リッターF1時代最後一戦ホンダ勝利をものにした。

※この「1965年メキシコGPでの奇跡」の解説は、「リッチー・ギンサー」の解説の一部です。
「1965年メキシコGPでの奇跡」を含む「リッチー・ギンサー」の記事については、「リッチー・ギンサー」の概要を参照ください。

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