1850年-51年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:13 UTC 版)
「サロン・ド・パリ」の記事における「1850年-51年」の解説
1850年と1851年は、2年にまたがってサロンが開催された。入選作品数は約4000点に上った。サロンの会場は、初めて、ルーヴル美術館からパレ・ロワイヤルに移された。1850年のサロンの開催時期が遅れ、1851年1月に持ち越されたのは、1849年にとられた投票審査制度が混乱を招いたためであった。 1等賞を獲得したのは、アレクサンドル・アンティーニャの『火災』であった。このように、民衆の現実を劇的に描く作品が、一般市民に親しまれ、評価を受けた。そのほか、オクターヴ・タサエールの『不幸な家族(自殺)』、イジドール・ピルスの『愛徳修道女の死』、ジュール・ブルトンの『飢餓』などが注目を浴びた。 しかし、この時のサロンで最も革新的だったのは、ギュスターヴ・クールベの『オルナンの埋葬』であり、レアリスム(写実主義)絵画の代表作といえる。本来は歴史画で用いられる特大サイズのキャンバスに、平凡な地方ブルジョワの埋葬場面を描き出したのに対し、世間からは、卑俗で醜いという非難が寄せられた。さらに、|ジャン=フランソワ・ミレーが出品した『種まく人』も大きな議論を巻き起こした。保守派・ブルジョワからは、労働者の悲惨な生活を訴える社会主義的な主張を含むものと受け取られ、拒絶反応があった。クールベやミレーの登場によって、1851年のサロンは後に「レアリスムの最初のサロン」と呼ばれる。 アレクサンドル・アンティーニャ(英語版)『火災』油彩、キャンバス。オルレアン美術館。 イジドール・ピルス『愛徳修道女の死』1850年。油彩、キャンバス、243 × 308 cm。オルセー美術館。 ジャン=ルイ=エルネスト・メソニエ『内戦の記憶』29 × 22 cm。ルーヴル美術館。 ギュスターヴ・クールベ『オルナンの埋葬』1849-50年。油彩、キャンバス、315 × 668 cm。オルセー美術館。 クールベ『市から帰るフラジェイの農民たち』1850年。油彩、キャンバス、208.5 × 275.5 cm。ブザンソン美術館。 クールベ『石割り』1849-50年。油彩、キャンバス、165 × 257 cm。焼失。 ジャン=フランソワ・ミレー『種まく人』1850年。油彩、キャンバス、101.6 × 82.6 cm。ボストン美術館。 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー『ニンフの踊り』1850年頃。油彩、キャンバス、97.7 × 130.5 cm。オルセー美術館。 ウィリアム・アドルフ・ブグロー『ダンテとウェルギリウス』1850年。油彩、キャンバス、280.5 × 225.3 cm。オルセー美術館。
※この「1850年-51年」の解説は、「サロン・ド・パリ」の解説の一部です。
「1850年-51年」を含む「サロン・ド・パリ」の記事については、「サロン・ド・パリ」の概要を参照ください。
- 1850年-51年のページへのリンク