17世紀までの伝統的受難曲とは? わかりやすく解説

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17世紀までの伝統的受難曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 00:22 UTC 版)

受難曲」の記事における「17世紀までの伝統的受難曲」の解説

1545年-1563年開催されトレント公会議結果カトリック圏内では技巧的教会音楽演奏抑制され受難曲新たな創作見られなくなるのに対して礼拝における音楽演奏寛容であったルター派圏内では、16世紀-17世紀にかけて集中的に受難曲作曲された。ルター派における伝統的受難曲規範となった作品は、ヨハン・ヴァルター1496年-1570年)が作曲したマタイ受難曲』(1550年頃)である。ヴァルターは、ルター翻訳したドイツ語聖書あわせて朗唱定式改変し、合唱によるトゥルバ部分組み合わせたルター派における応唱受難曲は、その後、アントニオ・スカンデッロ(1517年-1580年)の『ヨハネ受難曲』を通してイエス言葉も多声で作曲されるようになり、福音史家による語り除き様々な多声化が試みられる。 一方イタリアとは異なり通作受難曲数多く作曲されたことも、ルター派圏内における受難曲特徴である。ヴィッテンベルク出版業者ゲオルク・ラウが1538年誤ってヤーコプ・オブレヒト作品として出版したロングヴァルの受難曲は、ルター派圏内広く流布し、ルードヴィヒ・ダーザー(1525年頃-1589年)、レオンハルト・レヒナー1553年頃-1606年)、ヨハン・クリストフ・デマンツィウス(1567年-1643年)の『ヨハネ受難曲』等に受け継がれる。それらのなかにはルター友人であるヨハン・ブーゲンハーゲンが1526年作詞した『4人の福音史家による我ら主イエス・キリスト受難復活物語』に基づく総合受難曲少なからず存在する17世紀におけるプロテスタント受難曲最高傑作は、ハインリヒ・シュッツ1585年-1672年)が1663年-1666年作曲した3曲の受難曲である。シュッツ作品は、伝統的な応唱受難曲によりながら、極めて表情豊かな独自の朗唱音が用いられており、合唱においてもファルソボルドーネ様式放棄され劇的な表現通して言葉音楽との一致実現されている。

※この「17世紀までの伝統的受難曲」の解説は、「受難曲」の解説の一部です。
「17世紀までの伝統的受難曲」を含む「受難曲」の記事については、「受難曲」の概要を参照ください。

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