1500型1200型の製造とは? わかりやすく解説

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1500型・1200型の製造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 01:52 UTC 版)

京阪1000型電車 (2代)」の記事における「1500型・1200型の製造」の解説

1000型・1100型の登場当時すでに日本日中戦争突入しており、京阪ほどなく戦時輸送への対応を余儀なくされる輸送力上のため、1100型に中間車組み込むこととなって登場したのが1500型である。1100型は8両4編成在籍していたので、本来ならば1500型は4両必要になるが、1両は京阪唯一の貴賓車で当時遊休状態にあった16号改造して組み込むこととなり、1939年に3両が製造された。続いて1000型も3連化するため、翌年5両が追加されている。中間車とはいえ大阪方に運転台を持つ制御車として製造され、床に主電動機点検設けるなど将来電装考慮した構造になっていた。ただし、戦時下であるために1000型や1100型に比べ大幅に簡略化した素材工法用いられている。1000型の中間車として製造されたものもロングシートであった続いて1500型を両運転台とした1200型が製造される。こちらは当初500型に組み込んで運用され塗装500形合わせられていた。 太平洋戦争中1000型は4両、1100型は3両が留置車扱いとなり、電装品取り外され運用離脱した残った車両1000型はクロスシートの数を減らすような改造施されたりしたが、ロングシートへの改造行われなかった。 戦後1946年に、京阪線としては戦後初の新造車として、1500型が10製造された。これが本系列の最後製造となった戦後製造の5両は、資材不足からさらに簡略化された造りになっていた。 留置状態だった車両1946年から1948年にかけて順次復帰している。また、1949年には1200型の電装製造から6年経てようやく実現している。1949年9月27日朝のラッシュ時大阪行き準急3両編成香里園駅手前で3両目1201のパンタグラフ付近から出火重軽傷135名を出した戦時中粗悪な車両で、パンタグラフ昇降するボルト折損して垂れ下がり取付台の脆弱な絶縁布を走行振動擦り切り屋根短絡(デッドアース)した事が原因で、停車後に自動式扉が開かなかった事が被害拡大させた。

※この「1500型・1200型の製造」の解説は、「京阪1000型電車 (2代)」の解説の一部です。
「1500型・1200型の製造」を含む「京阪1000型電車 (2代)」の記事については、「京阪1000型電車 (2代)」の概要を参照ください。

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