12月の戦闘と加藤隼戦隊との死闘
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「フライング・タイガース」の記事における「12月の戦闘と加藤隼戦隊との死闘」の解説
12月23日のラングーン空襲では、九七重爆60機、九九双軽27機、九七戦30機が来襲。AVGとRAFは計21機の撃墜を主張したが、実際の戦果は8機の重爆のみであった。日本側は計31機撃墜を主張したが実際はP-40が3機とバッファロー4機で、こちらも過大に報告していた。その後、ラジオではパーソナリティーの東京ローズがアメリカ人に対し、2日以内に『ラングーンにクリスマスプレゼントを贈る』と放送した。その言葉どおり日本陸軍航空隊は2日前より一式戦闘機「隼」を含む多くの戦闘機、爆撃機を出撃させてきたのに対しAVGは12機のP-40、RAFは16機のバッファローを出撃させ迎撃に当たった。AVG側は前回の戦闘経験から、速度の遅い九七戦を爆撃機から離れた位置におびき出し、その後一気に引き離して爆撃機を襲う戦術を使うことにした。 AVGの報じた戦果は、撃墜確実27機、不確実を含めると36機の戦闘機、爆撃機を撃墜し、一方損害は機体損傷により不時着2機、RAFの損害は被撃墜5機とある。日本側の損害記録では、九七重爆4機と飛行第77戦隊の九七戦3機、第64戦隊の隼1機(機関銃が故障していたが、無理を言って出撃していた)がP-40との空中衝突により墜落、もう1機が被撃墜とある。 日本軍は英米の占領する首都ラングーンにイギリス・アメリカ軍をその後二ヶ月間に渡って爆撃、地上攻撃でラングーンが陥落するとAVGはミンガラドンから北方400kmに位置するマグウェへの撤退作戦を開始した。1942年3月21日、いままで守勢であったAVGは一転攻勢に転じ、RAFと共にミンガラドンに進出した日本軍航空機に対する奇襲攻撃をかけた。これにより約20機の日本軍機が地上にて撃破されたが、逆に日本軍もマグウェへの空襲をかけ、AVGに1機、RAFに17機の損害が発生した。続く翌日の空襲でマグウェは廃墟となり、戦闘力を失った。24日、AVGは昆明にいた第一戦隊のP-40でチェンマイ飛行場に対し反撃を試み、1機を対空砲火で失うも、駐機中の64戦隊の隼3機を炎上撃破、十数機を損傷させた。その後AVGの半数はロイウンに移動、両軍は互いに敵飛行場や地上部隊への攻撃を繰り返し戦果を挙げたが、最終的にAVGは飛行不能となったP-40C 22機に火を放って昆明に撤退した。
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