10球団への拡張(第1次エクスパンション)
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「1960年のメジャーリーグベースボール」の記事における「10球団への拡張(第1次エクスパンション)」の解説
ワールドシリーズが終わって4日後の10月17日、ナショナルリーグのオーナー会議がシカゴで開かれた。この席で1962年のシーズンから10球団制を採用することを全員一致で決議し、リーグ会長ウォーレン・ジャイルズは4年以内に更なる拡張(12球団制)もあり得ることも仄めかしていた。新しい加盟球団はヒューストンとニューヨークとし、それぞれにフランチャイズ権が与えられた。 一方アメリカンリーグは、9日後の10月26日、ニューヨークでオーナー会議を開き、翌年の1961年のシーズンから10球団の構成として早ければ次の1962年から12球団制にすることも合せて確認した。また新規球団の加盟のみでなく、1901年のリーグ創設から加盟していたワシントン・セネタースのミネアポリス=セントポールへの移転を認め、その後の空席となったワシントンに改めて球団を置き、もう一つは論議を呼んでいたロサンゼルスに新しいフランチャイズ権を設定することに決めた。このロサンゼルスにフランチャイズを置くことは最初から難航した。ドジャースのウォルター・オマリーは「3年前の本拠地移転でパシフィックコーストリーグに45万ドルの損害補償を、弁護士ほかに30万ドルを、仮本拠地のコロシアムの改築費15万ドルを、そして新球場ドジャースタジアムの建設にも相当額を支出した。少なくともドジャースタジアムが完成しドジャースが2年間使用した後でなければアメリカンリーグの球団を迎えるわけにはいかせない。」と述べた。「大リーグ規則」には「一方のリーグの球団が、他方のリーグの球団が既に本拠地としている都市にフランチャイズを敷設するためには両リーグの全球団の承諾が必要である」という規定があり、事態を憂慮したアメリカンリーグの当事者からはロサンゼルスを断念して、しばらくの期間は両リーグを9球団制にしてシーズン中に両リーグをまたぐ対戦カード(インターリーグ)を組む提案を出したが、ナショナルリーグ側が拒否して暗礁に乗り上げた。 12月5日から3日間、セントルイスで開かれた両リーグ合同会議でも一時険悪な雲行きに覆われたが、コミッショナーの仲介でナショナルリーグのニューヨーク加盟とアメリカンリーグのロサンゼルス加盟を引き換え条件で認め合うことで決着した。また新しい「大リーグ規則」を作って「フランチャイズ権の侵害について一律に10万ドルの損害賠償金と以前にマイナーリーグに支払った損害賠償の半額を新規球団に要求できる」と規定し、「人口240万人以上の都市では所属の異なる2つ目の球団が置かれる場合は他方のリーグの承認を必要としないが、それ以外の条件の場合は他方のリーグの4分の3以上の球団の承認を必要とする」「双方の本拠地球場は5マイル以上離れていること」「如何なる都市も3つ以上の球団は持てない」などの規則も追加された。
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