10点差を大逆転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:53 UTC 版)
日本プロ野球における最大点差の逆転ゲームは10点差で過去に4度あるが、その第1号は1949年10月2日、京都衣笠球場での大映スターズとのダブルヘッダー第2試合で大陽が記録した。 チーム123456789R大映 1 0 9 0 0 0 0 0 0 10大陽 0 0 0 0 0 3 4 3 1x 11 この試合では初回に大岡虎雄のタイムリーで先制した大映が、3回には大陽先発・宮沢基一郎とリリーフ・江田貢一に集中打を浴びせ、10点をリードする。一方、大映先発のルーキー・小川善治は大陽打線を5回まで1安打に抑える好投を見せる。この試合の前に行われた第1試合でも大映が10-3と大勝しており、2試合続けて白けたゲームを見せられる羽目になったファンは「金返せ!」「監督代われ!」と大陽ナインに対し罵声を浴びせた。 しかし6回、木村勉のショートゴロを山田潔がエラー。このプレーが試合の流れを激変させる。この回藤井勇と岩本義行の連続二塁打で3点を返すと、続く7回には藤井が満塁本塁打を放って小川をKO。8回からリリーフに立った姫野好治も火が付いた大陽打線の勢いを止められず、四球と暴投で2点を失った後、藤井に左中間二塁打を打たれ、同点に追いつかれてしまう。最後は9回2死満塁の場面で大映3番手・木場巌が田川豊に痛恨の押し出し死球を与えてしまい、大陽が10点のビハインドをひっくり返して勝ってしまった。 この試合では藤井が3打数3安打7打点と大暴れ。また2番手投手の江田が投げては4回以降を6安打無失点で踏ん張り、打っては2安打と投打にわたる活躍を見せた。 大陽は翌1950年から球団名を「松竹ロビンス」とするが、ここで10点差逆転を再現してしまう。舞台は1951年5月19日、大分県立春日浦野球場での大洋ホエールズ戦。 チーム123456789R松竹 0 0 0 0 1 1 3 5 3 13大洋 0 3 4 1 1 3 0 0 0 12 この試合では大洋が松竹先発・林茂と2番手・井筒研一に襲い掛かり、矢野純一と杉浦清が各2本塁打、さらに投手の高野裕良も本塁打を放ち、6回までに12-2とリードした。ところがこの大量リードで、大洋は疲れの見える高野の交代機を逃してしまう。2点差まで追い上げられた9回にようやく林直明に交代したが、「水爆打線」の異名を持つ松竹の重量打線を止めることができず、逆転負けを食らってしまった。 この試合では小鶴誠が2本塁打6打点と4番打者の働きを見せ、また3番手投手・小林恒夫が3ラン本塁打を放ち、勝利投手となった。 10点差逆転はその後、1997年8月24日に近鉄バファローズが対千葉ロッテマリーンズ戦(大阪ドーム)と、2017年7月26日に東京ヤクルトスワローズが対中日ドラゴンズ戦(神宮球場)で記録している。
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