龍源院とは? わかりやすく解説

竜源院

読み方:リュウゲンイン(ryuugen’in)

宗派 曹洞宗

所在 神奈川県座間市

本尊 釈迦如来


竜源院

読み方:リュウゲンイン(ryuugen’in)

宗派 曹洞宗

所在 福井県三方郡美浜町

本尊 釈迦如来


竜源院

読み方:リュウゲンイン(ryuugen’in)

宗派 曹洞宗

所在 静岡県袋井市

本尊 高王白衣観世音菩薩


竜源院

読み方:リョウゲンイン(ryougen’in)

宗派 臨済宗大徳寺派

所在 京都府京都市北区

本尊 釈迦如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

龍源院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 00:39 UTC 版)

龍源院
庭園「 一枝坦 いっしだん
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町82-1
位置 北緯35度2分31.5秒 東経135度44分45.9秒 / 北緯35.042083度 東経135.746083度 / 35.042083; 135.746083座標: 北緯35度2分31.5秒 東経135度44分45.9秒 / 北緯35.042083度 東経135.746083度 / 35.042083; 135.746083
宗派 臨済宗大徳寺派、南派
寺格 大徳寺塔頭、南派本庵
本尊 釈迦如来重要文化財
創建年 文亀2年(1502年
開山 東渓宗牧
開基 畠山義元大内義興大友義長
文化財 本堂(附:玄関)、表門、木造釈迦如来坐像(重要文化財)
法人番号 8130005001213
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龍源院(りょうげんいん)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派寺院大本山大徳寺塔頭本尊釈迦如来大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされている。

歴史

文亀2年(1502年)に 東渓宗牧 とうけいそうぼくを開山として、能登守護畠山義元豊後守護の大友義長周防守護の大内義興らが創建した[1]。創建年次については永正元年(1504年)など諸説ある[2][3][4]大徳寺の塔頭の中では最も古いものである。

寺号の由来は大徳寺の山号である龍宝山(りゅうほうざん)の「龍」と中国臨済宗松源派の祖・松源崇嶽(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承し、臨済宗で唯一残っている松源一脈の「源」の2文字を採ったものである。

明治時代の初めに大阪住吉大社内の慈恩寺と、岐阜県高山城主だった金森長近が大徳寺内に建立した金竜院を合併している。

境内

  • 方丈(重要文化財) - 本堂。永正14年(1517年)頃の建立。一重入母屋造・檜皮葺の建物[5]。日本の方丈建築としては古例の一つである。如拙門下周文の弟子等春の襖絵がある。 室中 しっちゅう襖絵の龍図は、作者や制作年代は不明だが、桃山時代から江戸時代の作といわれている。
  • 方丈南庭「 一枝坦 いっしだん」 - 1980年昭和55年)に当時の住職が作庭した枯山水庭園。東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「 霊山一枝之軒 りょうぜんいっしのけん」という室号から名付けられたもので、丸くかたどった大きな苔の島に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。
  • 玄関(唐門、重要文化財) - 永正14年(1517年)頃の建立。方丈へと至る切妻造・檜皮葺の玄関。
  • 方丈北庭「 龍吟庭 りょうぎんてい」 - 方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、相阿弥の作庭という。中央の石組は須弥山を表し、青々とした杉苔は洋々たる大海を表している[3]
  • 開祖堂 - 開祖・東渓禅師の塔所となっている一重入母屋造り・檜皮葺きの建物で、南北朝時代鎌倉時代・室町初期時代の禅宗様の粋を取り入れた昭和の代表作である。
  • 開祖堂前庭「鶏足山」
  • 茶室「参雨軒」
  • 庫裏
  • 庭園「 東滴壺 とうてきこ」 - 方丈と庫裏との間の狭小な空間につくられた壺庭。1960年(昭和35年)、 鍋島岳生 なべしまがくしょうによって作庭された現代壺庭の傑作で、白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。日本最小の庭園であるという。
  • 庭園「 滹沱底 こだてい」 - 「阿吽の庭」とも呼ばれる。宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられた白砂の庭で、阿吽の石と名付けられた2つの石は聚楽第の遺構といわれる。
  • 表門(重要文化財) - 永正14年(1517年)頃の建立。切妻造・桧皮葺の四脚門。

文化財

重要文化財

  • 本堂(附:玄関)[5]
  • 表門[6]
  • 木造釈迦如来坐像 - 龍源院の創建より古い鎌倉時代の作で、建長2年(1250年)の快慶の弟子・行心作の銘がある[7][8]。京都八釈迦の1つに数えられる。

重要美術品

その他の文化財

アクセス

脚注

  1. ^ 平凡社地方資料センター 1979, p. 481.
  2. ^ 寺前ほか 2000, p. 67.
  3. ^ a b 竹村 1984, p. 119.
  4. ^ 毎日新聞社 1993, p. 37.
  5. ^ a b 龍源院本堂1961年〈昭和36年〉6月7日指定、重要文化財〈建造物〉)、国指定文化財等データベース文化庁) 2024年10月17日閲覧。
  6. ^ 龍源院表門1961年〈昭和36年〉6月7日指定、重要文化財〈建造物〉)、国指定文化財等データベース文化庁) 2024年10月17日閲覧。
  7. ^ 木造釈迦如来坐像1931年〈昭和6年〉1月19日指定、重要文化財〈美術工芸品〉)、国指定文化財等データベース文化庁) 2024年10月17日閲覧。
  8. ^ 毎日新聞社 1993, p. 38.

参考文献

外部リンク




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