龍原砲結成とは? わかりやすく解説

龍原砲結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 03:54 UTC 版)

天龍同盟」の記事における「龍原砲結成」の解説

1987年長州力ジャパンプロレス勢が新日本プロレスUターン移籍した後の全日本プロレスは、かつてのように「日本人レスラー対外国人レスラー」という構図メインになりつつあったが、一方で観客動員数減少と言う課題残り試合会場では空席も目立つようになっていた。この事に危機感覚えた天龍マスコミ相手会社批判展開するが、発言内容いいよう取られて他の選手から逆に白い目見られたり、退団説を流された事もあった。また、鶴田プロレスに対して真剣に向き合う姿勢見せなかった事、鳴り物入りプロレスデビューした元横綱輪島大士精彩欠き続けていた事も天龍掻き立てる要因となったそうした状況の中、1987年5月16日小山ゆうえんちスケートセンター大会タイガー・ジェット・シンテキサス・レッド戦の試合後、「現状現状として受け止めなければ仕方ないけど、お客さんには常にフレッシュ感を与えなければいけないし、強いインパクト与えていかなければ失礼だし、ウチ(全日本)にとってもよくない。だから俺は今、ジャンボ輪島戦いたい。……ジャンボ背中見飽きたし、輪島お守りにも疲れたよ!」とコメントし鶴龍コンビ解消宣言周囲反対の声を振り切り、全日本活性化するためにジャイアント馬場に「阿修羅・原タッグ組みたい」と直訴した。原を選んだ理由1984年UNヘビー級王座をかけたタイトルマッチ天龍自身印象強く残っていた事、国際プロレス出身と言う肩書きによって抗争に違うカラー打ち出せる事、鶴龍コンビ解散表明前に原と合宿所会った際、「もし何かやるなら俺もやる。源ちゃん燃えてくれないと俺も目標なくなって困るんだ」と鼓舞してくれた事がきっかけであったが、馬場への直訴は原に正式にタッグ結成申し込む前の段階での行動であったその後6月1日石川県産業展示館大会において2代目タイガーマスク猛虎7番勝負の第5戦に出場した天龍日本人同士同門対決ながらタイガー激し攻防戦繰り広げ試合見た馬場から原とのタッグ結成了承を得る。改め6月4日に原と会談しタッグ結成マスコミアピール。「ジャンボ輪島本気にさせて、全日本プロレスリング上を熱く活性化させる」と宣言し最終目標新日本プロレス参戦掲げた

※この「龍原砲結成」の解説は、「天龍同盟」の解説の一部です。
「龍原砲結成」を含む「天龍同盟」の記事については、「天龍同盟」の概要を参照ください。

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