龍口法難で入牢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 15:36 UTC 版)
「日進 (身延3世)」の記事における「龍口法難で入牢」の解説
日蓮が4大法難の一つ・龍口法難に遭った際、日進も捕えられ土牢に入れられたとする説があるが、その典拠は不明とされている。 龍口法難とは文永5年(1268年)蒙古から国書が届き、日蓮の他国侵逼難の予言が当ったとして諸宗批判が高まり起きた法難である。その弾圧は日蓮のみならず多くの弟子・檀越にまで及んだ。日蓮の佐渡流罪が決まった後、文永8年(1271年)8月に、日蓮が神奈川県藤沢市の龍口で斬首されそうになった事から龍口法難と称される。 日蓮が著したとされる「五人土牢御書」の記載から、龍口での斬首未遂後の10月に日蓮の本弟子で六老僧の1人・日朗を含む5人が土牢に入れられたのは確実とされるが、4人の名前については不明である。また「日蓮聖人註画讃」には土牢に入れられたのは6人で日真が含まれると著されているがその典拠は未詳である。
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