黒澤商店ビルの建設
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1901年(明治34年)5月、貞次郎アメリカから帰国。 同年、6月頃京橋区弥左衛門町に、家賃28円の店舗を借り、タイプライター販売・修理を生業とする「黒澤商店」を創業。 1906年、京橋区尾張町2丁目で和洋毛織物・室内装飾業を営んでいた「今井商店」が破産。その債権者会議に出た碌々商店(工作機械業・現在の碌々産業の前身)の一人であった野田正一氏から土地家屋の買取りを頼まれた。債権者会議では当初碌々商店が買い取ってはという案が出たが、工作機械屋に銀座の表通りは必要ないとして、親友であった貞次郎に話を持ちかけ、この申し入れを受けて貞次郎が取得することとなった。 1909年(明治42年)10月18日、敷地面積98坪、鉄筋コンクリート3階建てビルの計画で「黒澤ビル」起工式が行われ、第一期工事が始まる。 1910年(明治43年)12月28日、第1期工事完了。黒澤商店は、弥左衛門町から尾張町に移転。 1911年(明治44年)3月31日、第2期工事開始。同年10月31日完了。 1912年(明治45年)2月24日、第3期工事開始。大正元年12月完了。 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で被災。ビルは倒壊せず、火災で内部を焼失する被害に止まる。 1946年(昭和21年)1月、米軍占領下で米国赤十字社ビルとして使用する為、接収される。 1952年(昭和27年)接収解除。 1978年(昭和53年)9月、老朽化による建替えの為、解体作業が始まる。同年10月22日、解体作業が完了。新ビル建設の地鎮祭が行われる。 1980年(昭和55年)12月7日、「クロサワビル」竣工。
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