黒沢ビル
名称: | 黒沢ビル |
ふりがな: | くろさわびる |
登録番号: | 13 - 0188 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、建築面積144㎡ |
時代区分: | 昭和前 |
年代: | 昭和5 |
代表都道府県: | 東京都 |
所在地: | 東京都台東区上野2-11-6 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 院長の小川剣三郎はステンドグラス作家小川三知の兄。 日本近代建築総覧追補 |
施工者: | |
解説文: | 小川眼科病院として建設。鉄筋コンクリート造,地上3階地下1階建で,正面1階の鉄平石張,尖頭アーチ窓やコンクリート製幌状の庇など表現派風意匠に特徴がある。屋上には温室風の紫外線療法室が残り,室内随所に小川三知作ステンドグラスをみることができる。 |
黒沢ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 00:05 UTC 版)
黒沢ビル (2015年10月29日撮影) |
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市場情報 | 未上場 |
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本社所在地 | ![]() 〒110-0005 東京都台東区上野二丁目11番地6号 |
設立 | 1930年 |
業種 | 不動産業 |
法人番号 | 3010502003364 |
外部リンク | http://kurosawa-bldg.com/ |
黒沢ビル(くろさわビル)英称:KUROSAWA BUILDING)は、東京都台東区上野にあるテナントビル。
概要
静岡藩医の家に生まれた小川剣三郎(1870年(明治3年) - 1933年(昭和8年))が、大正期に小川眼科医院を現在地に開業した。1923年(大正12年)の関東大震災により建物が焼失、1930年(昭和5年)に現在の鉄筋コンクリート造の小川眼科病院を建設した。その後、小川剣三郎が亡くなるとともに、建物は親族によって受継がれ黒沢ビルと改称されテナントビルとなった。
黒沢ビルの室内には随所にステンドグラスが施されている、玄関入口の欄間には「鶏鳴告暁」、その後方には「立葵」などだが、小川剣三郎の兄の小川三知(1867年(慶応3年)- 1928年(昭和3年))の作品である[1]。
沿革
- 正期 - 眼科医・小川剣三郎が当地で眼科を開業
- 923年(大正12年) - 関東大震災により建物が焼失
- 930年(昭和5年) - 小川眼科病院として建設
- 期不詳 - 有限会社黒沢ビル管理に受継がれ黒沢ビルと改称[1]
建築概要
- 築面積 - 144m2
- 築主 - 眼科医・小川剣三郎
- 計監理 - 石原暉一
- 工業者 - 不詳
文化財
登録有形文化財(建造物)
- 沢ビル
- 1930年(昭和5年)建築、鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、建築面積:144m2[2]。
- 録年月日:2005年(平成17年)11月10日、種別:文化福祉、登録基準:造形の規範となっているもの。
利用情報
応接室の公開
- 建物用途 - 眼科医院、歯科医院、各種事務所が入居するテナントビル
- 般公開日 - 月1回の一般公開日を設けている - 一般公開日
- 学者寄付 - 文化財維持保存のため寄付を集め、ビルの修繕・維持費用にあてている[3]
交通アクセス
- 道
ギャラリー
参考文献
- 川西崇行著『東京人 - 台東区を楽しむ本』「歴史的たてものの宝庫台東区をもっと知るための街角建築図譜 - 黒沢ビル」2008年(平成20年)2月
- 田辺千代著、増田影久写真『日本のステンドグラス 小川三知の世界』白揚社、2008年(平成20年)
脚注
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度42分32.6秒 東経139度46分13.9秒 / 北緯35.709056度 東経139.770528度
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