首の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:07 UTC 版)
「平将門の首塚」も参照 「京都 神田明神」京都市下京区新釜座町(四条通西洞院東入ル)には、民家に埋もれるようにして小さな祠がある。「天慶年間平将門ノ首ヲ晒(さら)シタ所也(なり)」と由緒書きにはある。 言い伝えでは討ち取られた首は京都の七条河原にさらされたが、何か月たっても眼を見開き、歯ぎしりしているかのようだったといわれている。ある時、歌人の藤六左近がそれを見て歌を詠むと、将門の首が笑い、突然地面が轟き、稲妻が鳴り始め、首が「躯(からだ)つけて一戦(いく)させん。俺の胴はどこだ」と言った。声は毎夜響いたという。そして、ある夜、首が胴体を求めて白光を放って東の方へ飛んでいったと言い伝えられ、頸塚は京都にはない。「太平記」に、さらしものになった将門の首級(しるし、しゅきゅう)の話が書かれている。将門の首は何か月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたので、恐怖しない者はなかった。しかし、ある時、歌人の藤六左近がそれを見て 将門は こめかみよりぞ 斬られける 俵藤太が はかりごとにて。 と歌を詠むと、将門はからからと笑い、たちまち朽ち果てたという。 また、将門のさらし首は関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ、途中で力尽きて地上に落下したともいう。この将門の首に関連して、各地に首塚伝承が出来上がった。最も著名なのが、東京都千代田区大手町にある将門塚である。この首塚には移転などの計画があると、事故が起こるとされ、現在でも畏怖の念を集めている。 御首神社に伝わる話では、将門の首は美濃の地で南宮大社に祭られていた隼人神が放った矢によって射落されてしまう、落ちた場所に将門を神として崇め祀り、その首が再び東国に戻らないようにその怒りを鎮め霊を慰めるために御首神社が建てられたという。 昭和の終り、東京の霊的守護をテーマに盛り込んだ荒俣宏の小説『帝都物語』で採り上げられるなどして広く知れ渡ると、「東京の守護神」として多くのオカルトファンの注目を集めるようになった。
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