飛脚の種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 07:35 UTC 版)
継飛脚 継飛脚は幕府が設けた飛脚で、各宿駅で人馬を継ぎ代えて信書や貨物を輸送する方法であり、御老中証文と称する重要な公文書を扱った。一人の走夫が御用と書いた長柄の高張提灯を持ち、もう一人の走夫が小葛籠に御用の札を附したものを肩に担いで輸送した。1633年(寛永10年)には諸街道の各駅に継飛脚米が付与された。継飛脚は幕末まで存続したが、民間の飛脚とも競合していたと考えられる。 大名飛脚 大名飛脚は江戸と国許の間を結んだ飛脚で、尾張藩や紀州藩が整備した「七里飛脚」が知られる。尾張藩や紀州藩以外にも七里飛脚を設置した藩があったが、町飛脚が発達するにしたがって、尾張藩のように七里飛脚を廃する藩もあった。 町飛脚 町飛脚は、1663年(寛文3年)当初東海道の三都(江戸・京都・大坂)で行われ、享保年間には上州高崎・陸奥福島・上州伊勢崎・上州藤岡で営業開始、1736年(元文元年)には新潟、1746年(延享3年)には江戸島屋が奥州・福島・京都間と江戸・備中松山間での営業を開始するなど、営業範囲を広げていった。寛政・天保期には五街道の主要都市だけでなく、主要都市から各地方にも町飛脚が普及した。江戸町飛脚は、江戸町内に限定して行われた飛脚であり、風鈴を鳴らして書状を届けた。『守貞謾稿』には「その扮、挟筥形の張り籠を渋墨に塗り、町飛脚および所名・家号を朱塗りに書きて、これを背にし、棒の一端前の方等に一風鈴を垂れて、往来呼ばずして衆人に報告す。これをもつて、下にも云へるごとく、ちりんちりんの町飛脚等異名す」とあり、ちりんちりんの町飛脚と呼ばれていた。その他、丹後地方では、縮緬を京問屋に委託販売する仲次をなす上荷飛脚と、上荷飛脚の指揮下で一定の賃金を得て一定の場所に運搬する下荷飛脚がいた。 通飛脚(とおしびきゃく) 出発地点から目的地まで通して一人で運ぶ飛脚。 米飛脚 大坂堂島米会所周辺の飛脚。堂島米会所での米相場の動向を地方に伝えることを専門としていた。
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