頻繁な政党の離合集散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:53 UTC 版)
「大韓民国の政党」の記事における「頻繁な政党の離合集散」の解説
民主化以前の権威主義体制においても離合集散はあったが、民主化以降は大統領選挙や国会議員選挙などを節目として頻繁に行われるようになった。民主化が実現した1987年以降、今日まで同一政党名を維持している政党は皆無で、7回行われた国会議員選挙(1988年、1992年、1996年、2000年、2004年、2008年、2012年)に、2回以上連続して候補者を擁立し且つ2名以上の当選者を出した政党は、4党(ハンナラ党、自由民主連合、新千年民主党、民主労働党)に過ぎない。 離合集散が頻繁な理由として、次の4点が指摘できる。 主要政党は大統領(候補)を目指す有力政治家が資金や党人事・公薦公認を通じて党運営全体を司る「私党」的性格が強く、有力政治家の思惑によって選挙や政権の代わり目ごとに政党が改編されてきた。 大統領選挙に際し、有力政治家が集票組織としての政党結成や、候補者選定を巡る有力政治家同士の対立を原因とする党分裂の事例が多い。 (国会議員選挙で)議会の多数派を確保することに失敗した大統領与党が多数派を確保すべく、群小政党の統合や無所属議員を取り込んで政党を改編してきた。 主要政党間に政治的理念や主張などにあまり大きな違いが無く、政党同士の統合に対するハードルが低い。 まず1の事例では、1987年大統領選挙に出馬した金大中が、平和民主党(平民党)→民主党→新政治国民会議(国民会議)→新千年民主党(民主党)と次々に自らが代表(総裁)を務める政党を改編したケースが代表的である。次に2の事例では、1987年大統領選挙に出馬した金鍾泌が結成した新民主共和党(共和党)や1992年大統領選挙出馬に出馬した鄭周永(現代グループ総帥)が結成した統一国民党。そして金泳三候補との候補者一本化交渉に失敗した金大中が結成した平民党、新韓国党(金泳三政権与党)における候補者選挙に敗れた李仁済が結成した国民新党などを挙げることができる。3の事例は、1990年に當時の与党民正党と野党の民主党と共和党が合同して結成された民主自由党が代表的事例である。また野党側でも与党に対抗する形で1991年に新民主連合党(平民党から改編した政党)と民主党(群小政党)が統合して結成された新「民主党」などの事例がある。
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