非共産化と再軍備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:08 UTC 版)
「連合国軍最高司令官総司令部」の記事における「非共産化と再軍備」の解説
国内経済の疲弊から社会主義が流行し労働運動は非常に盛り上がったが、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの民主主義国とソビエト連邦との対立、いわゆる冷戦が起こると、左派勢力たる共産党の勢力拡大が恐れられたために対日政策の方針転換が行われて、日本列島を『反共の防波堤』にする計画が進み、共産主義者の追放(レッドパージ)を極秘裏に行った。同時に軍国主義・超国家主義者などの公職追放を解除することである程度の右派勢力を回復し、左傾化した世論のバランスを取ろうとした。いわゆる「逆コース」である。 GHQの意向で解体された日本警察も、国家地方警察と自治体警察に分散していることによる不効率や、平均町村財政の3割以上に及ぶ財政負担に耐えられなくなった地方自治体の要望により、占領期間中から警察法が段階的に改正され、住民投票の付託で自治体警察の存廃ができるようになると、ほんの数年で一千以上の自治体警察が廃止され、国家地方警察に吸収されていった。 また、工業の早期回復による経済的自立が求められた。朝鮮戦争勃発によって連合国軍の一部が朝鮮半島に移ると、日本国内の軍事的空白を埋めるために、警察予備隊の創設と海上保安庁の強化(海上警備隊を創設)を実施して予定を繰り上げて日本の再軍備を行った。その後、日本国との平和条約および(旧)日米安全保障条約の発効に至り、日本は西側陣営の一員として国際社会への復帰を果たした。 GHQ/SCAPによるこれらの政策は、後に良くも悪くも論じられるが、日本が主権回復した後も、日本の国家の形態や日本人の精神・思想に多大な影響を及ぼし続けていると考えられている。
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