非公式協力者の数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 04:04 UTC 版)
シュタージは、非公式協力者の情報網を東ドイツ全国民に使うことができた。非公式協力者のネットワークは、東ドイツの監視システムの基本的な要素のひとつであり、正式なシュタージの職員が関係を持っていなかった集団への監視も可能であった。たくさんの反体制派、例えば芸術家や教会のグループのなかにも非公式協力者がいたため、シュタージはいわゆる「敵対的・否定的人物」(シュタージの専門用語)の活動についても情報を得ることができた。 シュタージは、組織が存在していた期間の合計で、およそ62万4千人の非公式協力者を囲っており、構成員の数は、東ベルリン暴動やベルリンの壁建設、東西緊張緩和のような国内問題のたびに、突如として増加した。1970年代の半ば、非公式協力者は、20万人にまで達し、最大の人員数となった。1970年代終わりには、非公式協力者をさらに専門化するという方針に変更されたため、その数は若干減少している。最終的には、シュタージは173,081の非公式協力者を雇っていた(1989年12月31日時点で、偵察総局(ドイツ語版)を除く)。2010年のヘルムート・ミューラー・エンベルクの研究によると、1989年の非公式協力者は、18万9千人としている。この結果からは、一人の非公式協力者が、89人の東ドイツ国民を監視していたことになる。非公式協力者の割り当ては、地域ごとに異なっていた。最も非公式協力者の密度が高かったのは、コトブス、シュヴェリーン、マクデブルクであり、最も密度が少なかったのはベルリン、ハレ、ライプツィヒであった。 非公式協力者の大部分は国内で活動していた。外国での非公式協力者の情報網の規模については、いくつかのデータが提示されている。それによると、海外の非公式協力者(偵察総局(ドイツ語版)含む)のうち、およそ3千人が西ドイツの「作戦地域」で、300~400人が他の西側諸国で活動していたと算出されている。西ドイツで、シュタージの活動に携わっていた人は、1万2千人であるとされている。このうち、シュタージの任務で西ドイツに移住した東ドイツ国民も多かったものの、大部分は西ドイツで生まれ、東ドイツに対するシンパシーを感じて、シュタージのために活動していた。 非公式協力者は主に男性で、東ドイツの非公式協力者は83%、西ドイツの非公式協力者は72%であり、ドイツ社会主義統一党に属していた。特に25歳~40歳のグループが勢力的に活動しており、その年齢の全東ドイツ国民の割合は24%であったが、非公式協力者の割合は30%~40%であったのに対して、25歳未満や年金生活者の数は少なかった
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