青函トンネル開業と青函航路廃止とは? わかりやすく解説

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青函トンネル開業と青函航路廃止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)

渡島丸 (2代)」の記事における「青函トンネル開業と青函航路廃止」の解説

1984年昭和59年2月1日ダイヤ改正後は、空知丸2代)は唯一の車両渡船となったが、有川桟橋廃止にともないこれまで着岸経験のなかった函館第1、第2岸壁への着岸要求され2月3日には両岸壁での可動橋接合試験が行われた。通常岸壁長165mと長い函館第2岸壁着岸するが、ここには乗用車乗降設備があり、乗用車航送繁忙期には甲系統、丙系統乗用車航送便と競合するため、岸壁長125mと船体長より20mも短い函館第1岸壁への着岸余儀なくされた。また就航中50番台便に充当され、しばしば危険物積載貨車航送受け持った。このダイヤ改正から、主として石狩丸型客載車両渡船2隻で運航された甲系統定期旅客扱い便101便、102便が不定期旅客扱い便となり、甲系統での定期旅客扱い便は消失したが、従来通り多客時には随時臨時旅客扱い便が運航された。 国鉄最後となる1986年昭和61年11月1日ダイヤ改正では、さらに1往復貨物便削減があり、最大19往復となったが、減船はなく、3隻とも1988年昭和63年3月13日青函航路最終日まで運航された。空知丸2代)は青森第3岸壁3月12日2220分発、函館第2岸壁3月13日2時10分着の53便で終航となり、3時05沖出し後、函館第4岸壁係船された。 石狩丸3代)は下り最終の7便八甲田丸25分前を行く臨時8011便として青森第1岸壁16時40分発、函館第2岸壁20時30分着で終航となった。この便は旅客扱いおよび乗用車航送便で、下り最終乗用車航送便となったその後2125沖出し3月15日7時より函館第2岸壁係船された。 檜山丸2代)は青森第1岸壁3月13日0時05分発、函館第2岸壁4時00分着の101便で旅客扱い乗用車航送ならびに下り最終鉄道車両航送行いその後150便、153便と旅客扱いおよび乗用車航送便として運航し上り最終22便羊蹄丸2代)の25分前を行く臨時8010便として函館第2岸壁16時40分発、青森第1岸壁20時30分着で終航となった。この便は旅客扱いおよび乗用車航送便で、上り最終乗用車航送便となったその後折り返し2125分発、函館港3月14日1時20分着の5003便で回航され沖錨泊3月14日1125分から15時03分まで函館第2岸壁着岸し以後港内錨泊係船された。これら3隻はその後売却された。

※この「青函トンネル開業と青函航路廃止」の解説は、「渡島丸 (2代)」の解説の一部です。
「青函トンネル開業と青函航路廃止」を含む「渡島丸 (2代)」の記事については、「渡島丸 (2代)」の概要を参照ください。

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