青函トンネル開業と青函航路廃止
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「渡島丸 (2代)」の記事における「青函トンネル開業と青函航路廃止」の解説
1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正後は、空知丸(2代)は唯一の車両渡船となったが、有川桟橋廃止にともない、これまで着岸経験のなかった函館第1、第2岸壁への着岸が要求され、2月3日には両岸壁での可動橋接合試験が行われた。通常は岸壁長165mと長い函館第2岸壁に着岸するが、ここには乗用車乗降設備があり、乗用車航送繁忙期には甲系統、丙系統の乗用車航送便と競合するため、岸壁長125mと船体長より20mも短い函館第1岸壁への着岸を余儀なくされた。また就航中は50番台の便に充当され、しばしば危険物積載貨車航送を受け持った。このダイヤ改正から、主として石狩丸型客載車両渡船2隻で運航された甲系統の定期旅客扱い便101便、102便が不定期旅客扱い便となり、甲系統での定期旅客扱い便は消失したが、従来通り多客時には随時臨時旅客扱い便が運航された。 国鉄最後となる1986年(昭和61年)11月1日のダイヤ改正では、さらに1往復の貨物便削減があり、最大19往復となったが、減船はなく、3隻とも1988年(昭和63年)3月13日の青函航路最終日まで運航された。空知丸(2代)は青森第3岸壁3月12日22時20分発、函館第2岸壁3月13日2時10分着の53便で終航となり、3時05分沖出し後、函館第4岸壁に係船された。 石狩丸(3代)は下り最終の7便八甲田丸の25分前を行く臨時8011便として青森第1岸壁16時40分発、函館第2岸壁20時30分着で終航となった。この便は旅客扱いおよび乗用車航送便で、下り最終の乗用車航送便となった。その後21時25分沖出し、3月15日7時より函館第2岸壁に係船された。 檜山丸(2代)は青森第1岸壁3月13日0時05分発、函館第2岸壁4時00分着の101便で旅客扱い、乗用車航送、ならびに下り最終の鉄道車両航送を行い、その後150便、153便と旅客扱いおよび乗用車航送便として運航し、上り最終の22便羊蹄丸(2代)の25分前を行く臨時8010便として函館第2岸壁16時40分発、青森第1岸壁20時30分着で終航となった。この便は旅客扱いおよび乗用車航送便で、上り最終の乗用車航送便となった。その後折り返し21時25分発、函館港内3月14日1時20分着の5003便で回航され沖錨泊、3月14日11時25分から15時03分まで函館第2岸壁に着岸し、以後港内錨泊で係船された。これら3隻はその後売却された。
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