電信:接続における分水嶺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/15 01:31 UTC 版)
「ジェームズ・W・ケアリー」の記事における「電信:接続における分水嶺」の解説
ケアリーが著書『Communication As Culture』、特に第8章「Technology and Ideology: The Case of the Telegraph(技術とイデオロギー:電信の事例)」において焦点を当てている諸論点は、コミュニケーションの将来的な発展における電信とその了解されている役割である。その議論に通底するのは、電信が「... 初めてコミュニケーションと輸送を効果的に分離することを可能にした ... (...permitted for the first time the effective separation of communication from transportation...)」ということである。すなわち、「メッセージは、人や馬や列車を使って届けるより速く、送られることが可能になり (it had become possible for the message to travel faster than people, horses or trains could deliver them)」、「... 電信はメッセージがモノの物理的移動から分離されることを可能にしただけでなく、コミュニケーションが物理的な処理過程をコントロールすることを可能にした (...the telegraph not only allowed messages to be separated from the physical movement of objects; it also allowed communication to control physical processes actively...)」。他方で、ケアリーは、電信は「コミュニケーションにおける分水嶺 (watershed in communication)」であったが、それはそれ以前からの枠組や、人の歩く道のようなインフラストラクチャーの上に構築されたものだとも述べ「...(それは)従来の接続のパターンを、一部で捻ったり置き換えたりすることはあっても、まったく置き換えてしまうようなことはなかった ... (...[it] twisted and altered but did not displace patterns of connection...)」としている (p.204)。ケアリーは、電信線のインフラストラクチャーが地理上の物理的に自然なパターンに沿う形で広がることを比喩として、この概念についてさらに詳しく論じている。 電信によって独占資本主義や帝国主義の成長が容易になり、取引関係における脱・人格化の程度が広がった。電信以前には、ほとんどの取引上の意思決定は「フェイス・トゥ・フェイス(対面接触)」を前提におこなわれていたが、電信の導入はより速く、人格的要素の少ないサービスを生んだ。実際のところ、商人同士の親密な関係は、買い手/売り手の関係、また、企業的階層性、すなわち経営上の関係へと、一夜にして変貌した。チャンドラー (Chandler) が述べるように、「経営の見える手が、市場の見えざる手に取って代わったのは、新たな技術が ... 大量、高速のモノの動きを可能にした ... その場、その時からだった (...the visible hand of management replaced the invisible hand of the market forces where and when new technology...permitted high volume and speed of materials...)」(1977年)[要出典]。
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