電信法の廃止まで
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電信法により無線を政府管掌としていた日本では、東洋汽船、日本郵船、大阪商船などの民間海運会社の船に逓信省が官設無線電信局を開設し、逓信官吏の無線通信士を配置していた。 1912年(明治45年)のタイタニック号沈没事故を契機とし、1914年(大正3年)にヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)の提唱で、海上における人命の安全のための国際会議が開催され、「海上における人命の安全のための国際条約」が採択された。この条約により乗員乗客50名以上の外国航路を運航する全ての船に無線を施設することが義務化されたが、それに要する建設費を逓信省が全て負担するのは困難だった。 1915年(大正4年)、政府は「無線を管掌する」という大原則を放棄し、私設を認めることに決した。民間海運会社の費用で船舶無線電信局を建設させ、さらに無線通信士を育成・雇用させるためである。こうして無線の私設を認める新しい法律「無線電信法」を電信法から独立させ、同年11月1日より施行した。同時に電信法を無線電信へ準用するとした明治33年 逓信省令第77号(1900年10月10日)と、無線電話へ準用するとした大正3年 逓信省令第13号(1914年5月12日)を同年10月30日をもって廃止した。 このとき有線に関する部分についても改正の検討がはじまり、1916年(大正5年)1月にその改正案が帝国議会へ上提された。改正案は同年3月6日に貴衆両院で可決、法律第19号として公布された(同年8月1日施行)。主な改正点は以下の通りである。 保管電報の公示を廃止し、事務を軽減した。 無線電信法の独立に併せ、無料電報に関する条文の整合を取った。 従前は不法施設と私設不撤去の罰則が同等だったが、不法施設をより重刑とした。 法人処罰規定を廃し、実際の違反行為者を処罰することとした。 そして第二次世界大戦後、「有線電気通信法(有線法)」と「公衆電気通信法(公衆法)」の施行日を1953年(昭和28年)8月1日と定めた「有線電気通信法及び公衆電気通信法施行法」の第2条により電信法を廃止した。
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