雄橋
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雄橋(おんばし)は広島県庄原市東城町の帝釈峡にある天然橋。比婆道後帝釈国定公園の一角を担う景勝地で、1987年(昭和62年)5月12日に国の天然記念物に指定された[1]。
- ^ 楠見久・片山貞昭『日本の天然記念物』加藤陸奥雄ほか監修、講談社、1995年、pp. 905,907頁。ISBN 4-06-180589-4。
- ^ a b c d 現地設置の案内板(庄原市教育委員会が平成22年3月に設置したもの)に記載
- ^ a b c d e 浅井建爾 2001, p. 232.
- ^ 浅井建爾 2001, pp. 232–233.
- ^ a b c d e 文化財今昔 (11) 雄橋(広島県庄原市) 価値見直される天然橋 2005年9月20日 夕刊-3版 6頁 『山陽新聞』夕刊 写有 (全829字)
- ^ 地質学雑誌, vol.75(5), 1969
- ^ 天然記念物雄橋緊急調査報告書、庄原市教育委員会, 2007
- ^ 大阪経済法科大学科学技術研究所紀要, vol.12(1), 2008
- ^ a b c d e f g 「(橋に願いを)雄橋 広島県 水が示した、積年の「力」」『朝日新聞』東京版夕刊3ページ 夕刊be火曜2面、2010年11月30日
- ^ “日本で最も大きい天然橋”. 日本記録認定協会. 2023年6月14日閲覧。
- ^ 帝釈峡観光協会 「雄橋を特別記念物に」 まず東城町教委へ要請(広島県)中国新聞 2000年05月26日 中国朝刊 北B/総合東 写有 (全542字)
- ^ ブランド輝け 第2部 全国区 <3> 帝釈峡 『中国新聞』2009年5月5日 朝刊 連載 県北 (全783字)
- ^ 帝釈峡 「雄橋」西側の山肌崩落 雨で地盤緩む 県が安全確保へ調査 2011年5月21日 備後2-15版 25頁 『山陽新聞』朝刊 写有 (全650字)
- ^ 「里山 いのちの譜 正本真理子 <8> 帝釈峡」『中国新聞』、2010年1月25日朝刊、連載『洗心』
- ^ 「鑪製鉄と民話 小冊子に 東城の渡辺さん」『中国新聞』、2007年3月13日朝刊 県北
- ^ 「求む 古い帝釈峡資料 観光協が呼び掛け(広島県)」『中国新聞』、1998年7月11日 中国朝刊 北B
- ^ a b c 「「帝釈峡」遊歩道通行止め 復旧へ住民ら署名活動 Bingo現場から」『読売新聞』、2010年10月10日
- ^ 「29日に湖水開き 帝釈峡に観光シーズン到来 渓谷美を体感しよう 名所巡る初のスタンプラリー」『山陽新聞』、2013年4月24日朝刊 備後1-15版、30ページ
- ^ 「カヤック乗りごみ回収 帝釈峡・神竜湖で清掃作戦 20日、湖岸の散策道も」『山陽新聞』、2013年3月13日朝刊 備後1-15版、26ページ
雌橋
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少し下流には雌橋と呼ばれる天然橋がある。雄橋よりも小型であるが、雄橋と雌橋を題材にして2匹の鬼が橋を造ったとされる伝承民話も伝えられている。1924年に下流に帝釈川ダムが建設されると帝釈川の水位が上昇し、小石などの堆積が進行した。以前は雌橋も下を船で通過できるほどの高さがあったが、貯水池である神竜湖の満水時にはアーチ部分が水没するようになった。 1996年10月、雌橋の手前の遊歩道で石灰岩の露頭の崩落が多発したために通行止めとなった。これにより徒歩では観光することができなくなったが、付近には「素麺滝」・「屏風岩」などの観光名所も多いために町議員と付近住民らは遊歩道の復旧を願い、署名活動を行って広島県に働き掛けを行ったが、山岳部を経由する危険個所の迂回路が造られたのみに留まっている。従来ルートの本格的な復旧には12億円が必要とされ、広島県自然環境課では予算調達困難としている。そのため1996年以降は渇水期限定で、カヤックまたは観光船でしか雌橋を見ることはできない。
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