集落内の地理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:46 UTC 版)
味土野は現在では人家はほとんどなく、幽閉されたと伝わる場所は山中の小さな丘の上である。面積20平方メートルほどの平坦な部分が丘の上にあり、この丘は「女城」「御殿」「おさきの岡」などと呼ばれる。女城跡には「細川忠興夫人隠棲地」の石碑がある。女城跡から谷を隔てた北方には男城(おじろ)跡があり、かつて細川ガラシャを警固する武士が待機していたという。20世紀末までは、ガラシャが祀った石像観音や、洗顔を行った化粧池などがあったが、現在も見られるガラシャの時代の名残は井戸跡のみである。 @media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit} [全画面表示] 味土野周辺の地図1 ガラシャ荘2 女城跡(「細川忠興夫人隠棲地」石碑)3 「ふるさと味土野之跡」石碑4 ガラシャ大滝展望所5 男城跡6 味土野ガラシャ大滝
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集落内の地理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 21:14 UTC 版)
旧道に沿って東西に集落が形成されており、旧道の南側(山側)をカミ、北側(海側)をシモと呼ぶ。集落内には西から5本の川(寺川・西川・中川・夕知川・落川)が流れており、中川より東側をヒガシ、中川より西側をニシと呼ぶ。これら河川のうち最も長い落川(延長3,700メートル)には、1963年(昭和38年)に長さ12.5メートルの府道橋「新落川橋」が架設された。 集落の南側には棚田(袖志の棚田)が形成されており、袖志の棚田は「日本の棚田百選」に選定されている。また、農林水産省の「美しい日本のむら景観百選」に選定されている。かつて山林部には宇川牛が放牧されていた。集落の東側には標高451メートルの岳山(だけやま)があり、山頂部には航空自衛隊経ヶ岬分屯基地のレーダーが設置されている。 集落の東側の岩場には詳細に名前が付けられており、その数は30近くある。岩場の名称は袖志地区のほとんどの人が教わるでもなく認知しており、海産物の採集状況の報告などに用いられる。一例を挙げると、経ヶ岬の西の登り口から順に東に、トケイ、メボシ、ゴリン、バヒキ、オオサキ(経ヶ岬の突端部)、コガナ、サイガウミ、オイワ、オオガナと続き、岬を東に回り込んだところからガクドウ、ヒラネ、ヤハタ(小島)と続いている。数々の岩場の中でも、袖志西端の落倉入口にある「畳岩」は、「一名千畳岩」とも称され、丹後町の名勝にも数えられる。
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