集落を結ぶ船の運航と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:18 UTC 版)
1974年(昭和49年)までは部落船と呼ばれる桜島の各集落を結ぶ船が運航されていた。1963年(昭和38年)には鹿児島市交通局が運営する鹿児島港・黒神間の黒神航路に「ひまわり」が就航し、1時間20分で結んだ。しかし、道路の開通によるバスや自家用車の利用が進んだことにより鹿児島市は黒神航路の廃止を検討した。 「ひまわり」の航路権が鹿児島県内において交通事業を行っている岩崎産業の手に渡るのを憂れえた西桜島村(のちの桜島町、現・鹿児島市)は、1968年(昭和43年)に旅客定期航路事業として黒神航路を鹿児島市から移管した。移管後は桜島町によって運航されていた黒神航路であったが、移管から8年後となる1976年(昭和51年)3月26日をもって黒神航路のうち浦之前・新島間を除いて全区間の運航が終了し、4月28日には全区間が廃止された。以降は新島の通学生のためのスクールボートが桜島町によって運航された。
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