陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長とは? わかりやすく解説

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陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 13:31 UTC 版)

須摩洋朔」の記事における「陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長」の解説

1951年4月警察予備隊音楽隊設置することが決まり警察予備隊自体前年1950年昭和25年8月10日発足)、「音楽隊設置要綱」が決定される同時にこの楽長として採用されたのが当時N響奏者であった陸軍軍楽大尉須摩洋朔であった音楽隊選考に関しては須摩自らが試験問題作成し45名を採用応募者599名中)、同年6月2日に「警察予備隊総隊総監部分遣隊」の正式名称警察予備隊音楽隊編成された。早くも2ヵ月後の8月10日には、流行歌手伊藤久男ゲスト迎え初の公式演奏会創立一周年記念 警察予備隊発表会」を挙行、さらに9月5日からは全国各地を巡る演奏ツアー行った。なお、帝国陸軍職業軍人たる元現役将校であった須摩は公職追放令解除されるまでは、建前上は「講師」という肩書き制服ではなく私服着用し音楽隊指揮統率行っている 。 1952年6月7日、「音楽隊創設一周年記念 音楽祭開催本音楽祭では「大空」(須摩作曲)が演奏されるとともに、これは後にも続く定期演奏会第1回となった同年8月10日警察予備隊2周年記念式典では儀礼曲「栄誉礼栄光」および「巡閲の譜」(須摩作曲)を初発表。10月15日警察予備隊保安隊へと改変11月23日に「警察予備隊総隊総監部分遣隊」は「保安隊音楽隊」に改称。さらに1954年7月1日自衛隊への改変合わせ9月10日に「陸上自衛隊中央音楽隊」が編成完結した。須摩は引き続き保安隊音楽隊」を経た陸上自衛隊中央音楽隊」の初代隊長として 1962年9月1日1等陸佐離任退官するまでこの職を務めている。

※この「陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長」の解説は、「須摩洋朔」の解説の一部です。
「陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長」を含む「須摩洋朔」の記事については、「須摩洋朔」の概要を参照ください。

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