陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長
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「須摩洋朔」の記事における「陸上自衛隊中央音楽隊初代隊長」の解説
1951年4月、警察予備隊に音楽隊を設置することが決まり(警察予備隊自体は前年1950年(昭和25年)8月10日発足)、「音楽隊設置要綱」が決定されると同時にこの楽長として採用されたのが当時N響の奏者であった元陸軍軍楽大尉須摩洋朔であった。音楽隊員選考に関しては須摩自らが試験問題を作成し45名を採用(応募者599名中)、同年6月2日に「警察予備隊総隊総監部仮分遣隊」の正式名称で警察予備隊音楽隊が編成された。早くも2ヵ月後の8月10日には、流行歌手伊藤久男をゲストに迎え初の公式演奏会「創立一周年記念 警察予備隊歌発表会」を挙行、さらに9月5日からは全国各地を巡る演奏ツアーを行った。なお、帝国陸軍の職業軍人たる元現役将校であった須摩は公職追放令が解除されるまでは、建前上は「講師」という肩書きで制服ではなく私服を着用し音楽隊の指揮統率を行っている 。 1952年6月7日、「音楽隊創設一周年記念 音楽祭」開催。本音楽祭では「大空」(須摩作曲)が演奏されるとともに、これは後にも続く定期演奏会の第1回となった。同年8月10日の警察予備隊2周年記念式典では儀礼曲「栄誉礼:栄光」および「巡閲の譜」(須摩作曲)を初発表。10月15日、警察予備隊は保安隊へと改変、11月23日に「警察予備隊総隊総監部仮分遣隊」は「保安隊音楽隊」に改称。さらに1954年7月1日の自衛隊への改変に合わせ、9月10日に「陸上自衛隊中央音楽隊」が編成完結した。須摩は引き続き「保安隊音楽隊」を経た「陸上自衛隊中央音楽隊」の初代隊長として 1962年9月1日に1等陸佐で離任・退官するまでこの職を務めている。
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