陸上競技選手時代とは? わかりやすく解説

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陸上競技選手時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 05:35 UTC 版)

鈴木章介」の記事における「陸上競技選手時代」の解説

1936年11月11日静岡県浜松市鴨江にて生まれる。 中学校時に陸上始める。当初走幅跳三段跳中心にやっていたが、中学校3年時に陸上部顧問教師から「棒高跳をやれよ」と言われて、棒高跳取り組む中学3年次ベストは2m67cmであった1952年静岡県立浜松商業高等学校進学。ここで本格的に棒高跳取り組みつつも、中学時代にやっていた走幅跳三段跳でも競技会出場する高校3年次1954年熊本県熊本市水前寺競技場開催され第7回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会男子棒高跳当時大会記録である3m71cmを跳び優勝高校日本一となった1955年早稲田大学教育学部進学し競走部に入部大学では久保宣彦、櫻井孝次太田富夫らと同僚となり研鑽した。沖田芳夫監督指揮の下、1957年・1958年早稲田大学競走部メンバーとして日本学生陸上競技対校選手権大会制覇寄与した。特に1957年大会で専門外であるトラック短距離種目男子4×100mリレー第二走者起用されるなど器用なところもあり、大学4年次に競走部主将を務めたその男4×100mリレーでは1957年1959年3年間、国民体育大会静岡県代表として出場し一般男子高校の部3年連続優勝果たしたこともあった。 1958年東京都開催され第3回アジア競技大会十種競技日本代表として出場している。 1959年大学卒業同時に大昭和製紙入社し同社陸上競技部所属して選手活動続ける。1961年第45回日本陸上競技選手権大会十種競技で5952点をマークして初優勝1964年48日本選手権では6751点をマークして2度目優勝を果たす。その年の第18回夏季オリンピック東京大会陸上競技オリンピック日本代表十種競技)に選出された。オリンピック本番では6838点をマークしたが、世界の壁厚く15位に終わった

※この「陸上競技選手時代」の解説は、「鈴木章介」の解説の一部です。
「陸上競技選手時代」を含む「鈴木章介」の記事については、「鈴木章介」の概要を参照ください。

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