法華寺旧境内
法華寺境内
阿弥陀浄土院跡
名称: | 法華寺旧境内 法華寺境内 阿弥陀浄土院跡 |
ふりがな: | ほっけじきゅうけいだい ほっけじけいだい・あみだじょうどいんあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 奈良市法華寺町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 2001.01.29(平成13.01.29) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成17.03.02 |
解説文: | 法華寺は平城宮の東に隣接する寺院で、大和国分尼寺である。天平17年(745)に聖武天皇の皇后、光明皇后がその皇后宮を寺院(宮寺)とし、まもなく法華滅罪之寺とされたことに始まる。平安時代には衰退し、鎌倉時代以降復興と罹災をくりかえした。慶長年間、豊臣秀頼によって現在重要文化財に指定されている本堂、鐘楼、南門が再建され、今に至るまで法灯を伝えている。 法華寺の旧境内は、西を東二坊坊間路で平城宮と画し、北を一条条間路、東を東二坊大路でそれぞれ区画する。また、南限については、平成9年の奈良国立文化財研究所による調査によって、奈良時代後半から平安時代にかけての二条条間路に開く大規模な門が発見されたことから、二条条間路で区画されることが判明した。ただし、この範囲のうち、北東隅は海龍王寺の旧境内である。 旧境内における調査は、昭和27年の現本堂の解体修理にともない行われて以降、奈良国立文化財研究所などにより数多く行われている。その結果、現境内で現本堂の下、およびその南と東にそれぞれ柱すじを揃える東西棟3棟が確認された。また、現南門の南約40mの地点で、本堂下およびその南の建物の中軸線上に乗る推定桁行7間、梁間4間の東西棟が検出され、金堂と考えられている。このほか上記の大規模な門、鐘楼、主要伽藍を巡る回廊の一部と考えられる柱穴列が検出されるとともに、東西塔跡が江戸時代の絵図面に規模・位置が記録されている。 |
- 法華寺旧境内のページへのリンク