阪神タイガースとのかかわり
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「植草貞夫」の記事における「阪神タイガースとのかかわり」の解説
朝日放送がプロ野球では阪神タイガースの試合を多く中継したことから、阪神タイガース戦に欠かせないアナウンサーの一人としても有名であった。 1962年セ・パ2リーグ制後、初めて優勝を決めた試合ではテレビで実況を務めたが、1964年の2度目の優勝時は、前述の東京五輪実況に携わったため、五輪開催間際と重なり、実況できなかった。 1973年10月22日に甲子園球場で行われた、「勝った方が優勝」という阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のシーズン最終戦でテレビの実況を担当したが、阪神の惨敗ぶりに7回あたりから放送席にまで暴徒と化した観衆がものを投げ込んだりするようになり (植草によるとほうきまで飛んできたという) 、「ABCは勘弁したろか」という周囲の心あるファンが毛布などでバリケードを作ってくれたおかげでかろうじて放送できたエピソードがある。 「おはようパーソナリティ中村鋭一です#エピソード」および「阪神タイガース#世紀の落球とV9」も参照 その後、長らく阪神が優勝から遠ざかった時代には「架空優勝実況」をいくつか吹き込んでいる。こうした架空実況は当時評論家で、キー局・テレビ朝日の解説者だった野村克也から批判されたりもして、本人も「本当の優勝実況が一番です」と語っていた。 1985年4月17日の甲子園球場での読売ジャイアンツ戦での伝説の「バックスクリーン3連発 (ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布) の実況を担当していた。3選手のホームランの際、バースの時は「センターへ持ってったぁー。センターが下がった、下がったぁ、下がったぁーー! 逆てぇーん!! 今シーズンの第1号はバース、逆転3ラーン!! センターのバックスクリーンに飛んでいきました。バースは狙っていたのか、無心にセンターにはじき返したのか、一発に泣いた槙原!」、掛布の時は「こぉーれもセンターだ! クロマティはー、追わないっ! 昨日に続いて (シーズン) 第2号! バース、掛布爆発! 甲子園球場は大歓声! いやぁ、嬉しそう、嬉しそう」、岡田の時は「センターへ! こぉーれも行くのか? こぉーれも行くのか? こぉーれも行ったー! 今シーズンの第1号! 甲子園球場はもうお祭りです、甲子園はお祭りです!! そして、3塁側のスタンドから空き缶が投げられています!」と実況している。解説は藤田平。 そして、1985年10月16日、21年ぶりの優勝を決めたヤクルトスワローズ対阪神タイガース戦の実況 (ラジオ) を担当し、1962年以来の優勝実況が実現した。優勝の瞬間の言葉をいろいろ考えていたが、結局出てきたのは「1985年度ペナントレース、阪神タイガースが制しました」という、アナウンサーらしい冷静な言葉であった。なお日本一を決めた11月2日の西武ライオンズ戦 (西武ライオンズ球場) は放映権の都合上実況できなかった。 阪神のバッターがいい打球をかっ飛ばすと「さぁー」や「こぉーれもいくのかぁー?」と絶叫することが多かった。 一方、阪神ファンの応援の代名詞であるジェット風船については、実況の中で「(試合中に) こういうのを飛ばされると、試合進行の妨げとなるので、是非とも止めて頂きたい」と批判的なコメントをしたことがある。
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