閣内での駆け引き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)
「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「閣内での駆け引き」の解説
楢橋は内閣書記官長として、閣議に陪席する資格があった。これは内閣法制局長官の石黒武重も同様である。しかし、楢橋、石黒を通しGHQ側に情報が漏れていると懸念した松本は、二人に「向こう〔GHQ〕へ出す憲法の要綱の議事のときにはどいてくれ」「これは閣員だけにしてもらいたい。厳正に秘密にしたい」と言い、楢橋の不興を買ったことがあった。しかし、その後、幣原首相は楢橋と石黒を国務大臣に推挙する。 最高司令官のための覚え書き 1946年2月25日内閣は、ただいま、終戦連絡事務局を通じて、下記2名のものを、現職のまま無任所大臣に任ずることに対する同意を求めてきました。 楢橋渡―――現職、内閣書記官長 石黒武信―――現職、法制局長官 同時に、内閣は、これら両名が、現在のように投票権なしに閣議に出席するというにとどまらず、〔正式に〕閣議に列席することが許されるようにしたいと望んでいる旨が、伝えられてきました。 楢橋は御存知のように、政府にあって、閣下の指令の精神に従わせるよう顕著な努力をしています。石黒は、楢橋が〔法制局長官から〕内閣書記官長に栄転した際その後任に選ばれたもので、楢橋と密接に協力しているものです。 このような措置が現在の問題点に対処するために内閣を強化する目的で、内閣総理大臣にとられようとしていることが、私の心にとまりました。(以下略) 〔署名〕コートニー・ホイットニー — ホイットニーのマッカーサー宛て報告より 幣原が楢橋と石黒を大臣に推挙した上記「内閣を強化する目的」とは、言葉を代えて言えば「閣内の保守派の勢力を弱めるため」であった。この舞台裏を松本は十分に理解していない。また、当時内閣法制局次長だった入江俊郎も1954年の時点で「石黒、楢橋両氏が松本さんの保守的な意見をけんせいすべく国務大臣になったというようなことはない」と証言しており、全く極秘のうちに進められていた事態であった。 楢橋は2月24日、ケーディス、ハッシーとの懇談の席上、次のように語った。すなわち、憲法改正を巡る内閣・政府内での敵対感情は非常に激しく、幣原はじめ若干の閣僚の生命を狙われる可能性が現実味を帯びている。そのため自分は、幣原が公衆の面前に立つ時には、いつでも幣原と並んで立つようにしている。というのは、「首相と運命をともにしたいからだ」。さらに楢橋は、松本は「全力をあげて〔憲法改正の〕決定を遅らせようとし」ており、「貴族院はこのような案に承認を与えないであろうとかいった、法律屋的な異議を唱えて」いると評し、「必要があれば、松本博士に辞職を余儀なくさせるつもり」であるし、また、「貴族院が頑強に反対するならこれを壊滅させることもできます」と述べた。また、吉田が憲法問題についてどういう立場を取っているかというケーディスらの質問には、「吉田は「〔幣原〕内閣総理大臣や自分と同じ立場に立っています」と答えている。
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