関西学院との法人合併
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学校法人関西学院とは同じメソジスト派の学校を源流に持ち、関西学院大学の西宮上ヶ原キャンパスが地理的にも非常に近く、創立者の1人であるメアリー・イザベラ・ランバスは、関西学院の創立者であるウォルター・ラッセル・ランバスの母親であるなどのことから、姉妹校の関係にあった。 2006年1月に行われた、聖和大学・関西学院の双方の学長・理事長による会見で、2008年度をめどに両学校法人を合併するための協議を開始することが発表された。合併においては学校法人関西学院を存続法人として資産を移し、学校法人聖和大学は解散することが決まった。 2007年に法人合併契約書の調印が行われたが、聖和大学の学部が関西学院大学に単純に移行するわけではなく、関西学院大学に新しく設置される教育学部は、聖和大学の教育学部幼児教育学科と関西学院大学の文学部総合心理科学科臨床教育学専修に、新たに小学校教諭養成課程を加えた学部であったため、文部科学省への届出申請だけでは済まず、定員増もあって新学部の設置認可申請が必要となった。このことにより、法人合併の手続きに加え学部新設の申請手続きも加わり、事務の複雑化により計画を1年先送りにし、その結果、聖和大学は1年延命することになった。 2009年4月1日付で学校法人聖和大学は学校法人関西学院と合併した。合併に伴い、大学の学部の改組・再編に加え、付属学校・教育機関の改称などが行われた。 関西学院大学文学部の教育学系と聖和大学教育学部を基礎に、関西学院大学教育学部が聖和の校地(聖和キャンパス)に新設された。 聖和大学の教育学部・人文学部と聖和大学大学院は在校生の卒業を待って廃止することとされた(大学院は2011年、大学は2013年に廃止)。 聖和大学短期大学部は、学校法人関西学院の設置する聖和短期大学に改組された。 附属聖和幼稚園は、学校法人関西学院の設置する聖和幼稚園(現・関西学院幼稚園)となった。 これにより関西学院は、2008年に宝塚市に新設した関西学院初等部(小学校)を含めて、幼稚園から大学院までの一貫教育体制が整うことになった。
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関西学院との法人合併
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「学校法人千里国際学園」の記事における「関西学院との法人合併」の解説
2008年(平成20年)5月9日、学校法人関西学院との2010年(平成22年)4月の合併に向け協議を開始したことを発表した。存続法人は関西学院となるが、合併後も各校は現在の校地で存続する。 2009年(平成21年)12月17日、文部科学省は、関西学院と千里国際学園の両学校法人の合併を正式に認可した。2010年(平成22年)4月1日に両法人は合併し、存続法人は学校法人関西学院となり、学校法人千里国際学園は廃止された。 法人合併後の主な変更点 千里国際学園の校地は「関西学院千里国際キャンパス」と改称された。 中等部・高等部は関西学院千里国際中等部・高等部 (Senri International School of Kwansei Gakuin)と改称された。略称はSISのまま。 大阪インターナショナルスクールは関西学院大阪インターナショナルスクール (Osaka International School of Kwansei Gakuin) と改称された。略称OISのまま。 校門前のバス停名は「千里国際学園」から「関西学院千里国際キャンパス」に変更された。
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