関西学生野球連盟の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:18 UTC 版)
「関西学生野球連盟」の記事における「関西学生野球連盟の誕生」の解説
入れ替え戦中止にいたるまでの経緯。関西学院大学、関西大学は、入れ替え戦中止による固定を主張。幹事校の同志社大学は、最後まで反対していたが、当時下部の京滋リーグに落ちていた立命館大学を救済するとして、立命館大学もこれに応諾。3校がまとまり、また関西大学の働きかけにより、もともと関西大学の動静には大きな疑念を持っていたものの、大きな発言権を持ち且つ当時関西最強だった近畿大学も3校と同調することで新リーグ参加を承諾される条件を示され同調せざるを得なくなり、とうとう同意、これら一連の動きに最後に同志社大学も同調せざるを得なくなった事で関関同立近の足並がそろった。京都産業大学と大阪商業大学は、そのまま居残る形になり、関西六大学の名称はそのまま引き継がれている。 したがって、関西六大学野球連盟から脱退し、旧下部から2校を招聘して後日に関西学生野球連盟となる新リーグを結成した事になる。 また、連合結成時代を含めた旧リーグの過去の記録に関しては、新制の関西六大学野球連盟側と共有していく事で再編時に合意がなされている。
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