開業までのいきさつ
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「ジュリアナ東京」の記事における「開業までのいきさつ」の解説
1990年春、東京倉庫運輸の経営陣(当時)から「今度、テナントが出て行く倉庫があるので、そのスペースを有効活用できないか」と相談を受けた、当時日商岩井の一社員であった折口雅博がディスコを提案した際、「ディスコを運営する会社に建物をリースする形なら企画に乗ってもいい」と同意を得た。折口は日商岩井の上司の反発を受けながらも開業資金を集め、東京倉庫運輸の子会社である東運レジヤーとの共同出資で、1991年5月15日にジュリアナ東京を開業した。 ジュリアナ東京開店時のコンセプトは、「普通のOLが上品な夜を過ごせるイギリス資本のコンサバティブディスコ」。これは、バブル期の時代の最先端であり、一見客には極めて入りづらかった「芝浦ゴールド」(1989年開店)へのアンチテーゼとして立案されたが、お立ち台ブームにより変化していった(後述)。 エントランスからサイドがオブジェで飾られた空間を通り、まず巨大な自動ドアに辿り着く。そのドアから一歩中に入ると、DJブース、色鮮やかなライティングが眼前に現れ、重厚なサウンドが響き渡り、大箱のダンスフロアの熱気が一気に肌を打つという空間だった。女性のみが登れるお立ち台に対し、ダンスフロアを挟んでDJブースの向かい側の男性でも利用できる通称「雛壇(ステージ)」や、ボディソニックの音響設備、レーザー・スモーク・モニター等を取り入れ、ライティングオペレーション、ダンスフロアには巨大なシャンデリア、壁画やオブジェも設置し、大きな空間を最大限に活用した時代の最先端の大箱ディスコであった。また、DJジョン・ロビンソンの「ジュリアナス〜トキオ〜!」は会場のボルテージが最高潮に達するほど有名なMCである。海外アーティストを頻繁に招きライブも実施した。
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