閉山と再開計画の挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)
「北大東島のリン鉱山」の記事における「閉山と再開計画の挫折」の解説
日本国内に搬出された北大東島のリン鉱石は、品質不良で売れなくなっていた。原因はブルドーザー等のアメリカ製の大型機械で採掘されたリン鉱石が、リン酸分16パーセントから18パーセントという貧鉱となっていたためである。鉱石の販売不振に直面した米軍は鉱山の閉山を決断し、1950年10月に閉山となった。サンチェーズのよるリン鉱石積み込み方法の改造は未完成となり、これまでの施設の一部を破壊した状態で中断された。鉱山設備は閉山直後は米軍関係者約20名が保守管理していたが、翌1951年11月以降は北大東村役場が管理するようになった。 閉山はリン鉱山に依存する面が大きかった北大東村にとって死活問題であった。村は米国軍政府に対して再開を強く要望したものの、鉱石の質が悪く売れないとの理由で受け入れられなかった。リン酸肥料事業を展開していた日乃出化学が北大東島のリン鉱石を引き受ける話も出たものの、立ち消えとなってしまった。職を失うことになった人々のために救済米の無償配給とともに、希望者には開墾した荒蕪地を分け与えた。 1951年1月、大日本製糖は琉球列島米国民政府から接収中の南北大東島等の土地、財産所有権の確認を受けていた。その上で琉球列島米国民政府から、事業を再開する際に接収を解除するので、調査団を派遣する場合には便宜を図ると申し入れられた。そこで大日本製糖では南北大東島等での事業再開に向けて沖縄に調査団を派遣した。約1か月間にわたる調査の結果、北大東島には少なくともリン酸三石灰鉱が27万トン、その他のリン鉱石が19万トン、計46万トンのリン鉱石が残存しており、年産3万トンで採掘を行うことが適当であるとの事業計画が作成された。 しかし大日本製糖の事業計画が実行に移されることは無かった。これは南北大東島の土地所有権問題がクローズアップされるようになったことが原因であった。南北大東島は戦前期、一企業による支配が継続しており、接収解除後に戦前期の企業支配が復活してしまうことに島民たちが拒絶反応を示した。当初、北大東島はリン鉱山復活への期待感もあって南大東島よりも土地所有権問題に対する反応が鈍かったが、やがて南大東島側と歩調を合わせ島民が土地を所有するよう求め、激しい運動を展開するようになった。
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