閉山後の細倉鉱山とは? わかりやすく解説

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閉山後の細倉鉱山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 02:43 UTC 版)

細倉鉱山」の記事における「閉山後の細倉鉱山」の解説

1987年細倉鉱山閉山後細倉鉱山は鉛鉱石精錬事業について継続した1994年からは自動車の廃バッテリーから鉛を回収する事業開始し1996年には鉛鉱石精錬事業から撤退し精錬関連では自動車の廃バッテリーからの鉛回収事業専念することになった。現在、細倉鉱山株式会社後身である細倉金鉱業株式会社では、自動車バッテリーからの鉛回収の他に、廃鉱となった細倉鉱山から排出される排水の処理事業、川口第一発電所川口第二発電所発電事業、そして水道事業行っている。 細倉鉱山があった鶯沢町は、鉱山発展とともに発展し、最も人口多かった1957年昭和32年)には約13500人の人口があったが、鉱山衰退閉山に伴い人口大幅に減少し2005年平成17年)の栗原市誕生直前には約3000人にまで落ち込んだ細倉鉱山では閉山前の1981年昭和56年)に鉱山資料館開設され資料機械設備などの保存図られていたこともあって、鉱山関連資料設備保存状況良く、また鉱山そのもの遺構比較良く保存されている。2007年には細倉鉱山非鉄金属一大供給源として明治以降日本近代化貢献したことを評価して小坂鉱山尾去沢鉱山などとともに経済産業省認定する近代化産業遺産群33の「東北鉱山」の一つとして認定された。 また、細倉鉱山働いていた人々居住していた「佐野住宅」は保存状態良好であり、2007年日本アカデミー賞受賞した映画、「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」のロケ地となった

※この「閉山後の細倉鉱山」の解説は、「細倉鉱山」の解説の一部です。
「閉山後の細倉鉱山」を含む「細倉鉱山」の記事については、「細倉鉱山」の概要を参照ください。

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