鎌倉・室町・安土桃山時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:16 UTC 版)
酒造りの舞台は朝廷から仏教寺院へと移り、醸造についての専門知識を備えた僧たちが僧坊酒を造るようになった。この僧たちは造酒司の酒部とは異なり、菩提酛に代表されるようなそれぞれの寺院の味や造り方を分化させていったため、のちの杜氏集団の流派の原型と見ることもできるが、集団としての制度など考えると、後世の杜氏とは直接的なつながりはない。 やがて、酒部の子孫を自称する人々や、その遠縁にあたる者などが、朝廷や寺院とは関係のないところで酒を造り始めた。このような、今日でいう「民間」の醸造技術者のことを酒師(さかし)といい、また酒を造り販売した店を造り酒屋(あるいは単に「酒屋」とも。区別については酒屋の項を参照)という。 鎌倉時代や室町時代には、京には造り酒屋が隆盛し、京の以外の地方でも他所酒(よそざけ)といって、越前の豊原酒(ほうげんざけ)、加賀の宮越酒(みやこしざけ)、伊豆の江川酒(えがわざけ)など、現在の地酒の原型となる地方色豊かな銘酒が造られていた。しかしながら、彼ら酒師たちは、後世の杜氏集団ほど階級化・組織化されておらず、むしろ酒造りの仕事は、上下に階級化されるよりも、水平に幅広く分業化されていた。 文安の麹騒動(1444年(文安元年))以前は、現在では完全に杜氏集団のなかの仕事である麹造りについても、まだ酒造りの職人集団の仕事ではなく、造り酒屋の仕事ですらなかった。なぜなら、それは麹屋という、麹造りを生業とする別の業界の店へ外部発注に出していたからである。したがって、後の杜氏集団の中における麹師(もしくは麹屋などとも)の役職は、この頃は杜氏集団に属していなかった。 江戸時代に入ってからもしばらくは、地方によっては江戸時代後期まで、中央から招いた醸造技術者に対しては「杜氏」よりも「酒師」「麹師」という呼称が一般的であった。
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