銅街道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 銅街道の意味・解説 

あかがね‐かいどう〔‐カイダウ〕【銅街道】

読み方:あかがねかいどう

江戸時代足尾銅山から産出した運び出した街道足尾から沢入(そうり)・花輪大間々(おおまま)・大原経て平塚群馬県伊勢崎市)に至る。


足尾銅山街道

(銅街道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 05:34 UTC 版)

足尾銅山街道(あしおどうざんかいどう)は、下野国栃木県足尾銅山から渡良瀬川沿いの渓谷を下り、上野国群馬県)笠懸野(大間々扇状地)を経て、利根川沿いの河岸までを結ぶ街道である。銅山街道(あかがねかいどう)とも呼称され、銅街道あかがね街道とも表記する。国道122号の足尾-大間々間の通称として用いられる[1][2]


  1. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 第9巻 栃木県』55頁 あかがね街道〈足尾町〉
  2. ^ a b 『角川日本地名大辞典 第10巻 群馬県』63-64頁 銅山街道
  3. ^ a b c d 『日本歴史地名大系 第9巻 栃木県の地名』452-454頁 足尾銅山跡
  4. ^ a b 『日本歴史地名大系 第10巻 群馬県の地名』35頁 銅山街道


「足尾銅山街道」の続きの解説一覧

銅街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:23 UTC 版)

国道122号」の記事における「銅街道」の解説

江戸時代後期発見され足尾銅山採掘されを、利根川水系まで運ぶために開通した街道である。群馬県みどり市大間々地区から栃木県日光市足尾地区にかけては渡良瀬川沿う形で道が開かれ所々倉が設置された。現道が開通してからは、本来の街道使われなくなり荒廃してしまった。そのため、現道を銅街道とした。 国道を銅街道にした後も、平成に入るまでは道路事情悪く、特にわたらせ渓谷鐵道立体交差する部分では、大型車同士すれ違いが困難であった。現在は、新しく立体交差化され拡張されている。降雨量160 mmを超すと通行止めになり、平行するわたらせ渓谷鐵道運転見合わせになり、街道沿いの地区孤立することもある。

※この「銅街道」の解説は、「国道122号」の解説の一部です。
「銅街道」を含む「国道122号」の記事については、「国道122号」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「銅街道」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「銅街道」の関連用語

銅街道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



銅街道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの足尾銅山街道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国道122号 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS