金融上の支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 23:14 UTC 版)
大火からの復興するためには膨大な資金を必要とし、それは罹災した企業において尚更のことである。この第一次大火で支払われた保険金は総額で1,500件、1億8,000万円に達したが、被害額からすると些少で、また各社とも受け取った保険金を当座の借り入れの担保とせざるを得なかった。産業の復興にあたっては最低でも1億3,000万円が必要と見込まれ、当初は復興金融金庫(復金)からの調達を目指したが、日本銀行本店から秋田支店に向けて不可である旨の通知が送られた。その後農林省(当時)及び経済安定本部(安本)、復興金融金庫、県当局で関係者会議を行ったが、農林省の関係予算内にも資金を出せる枠がなく、また年度末が迫り事務的な手続きも不可能であるとされた。さらに方針をあらため長期資金貸し出しにあたる日本興業銀行(興銀)を中心にシンジケートを作り、これが地元銀行に融資することでシンジケート - 地元銀行 - 罹災企業という間接的な融資の流れを作ろうとしたが、これも困難との見通しが示された。ここに及んで市長の柳谷が秋田銀行専務の前田實(のち頭取)とともに上京し大蔵省銀行局長室を訪問、柳谷と旧制第二高等学校で同門だった愛知揆一銀行局長が共同融資の呼びかけに奔走し、中山素平日本興業銀行副頭取が応じて5月31日に1億3,500万円の融資が取りまとめられた。融資の貸出し期間は2ヶ年、年利約12%で6ヶ月据え置き後、2ヶ月月賦による返済であった。 こうして大手企業の救済融資の道筋がついたものの、中小零細企業にはほとんど手当てがされていなかった。大手企業への融資と同様にこれら企業への復興資金の融資も重要な課題となったが、これについて蜷川虎三中小企業庁長官(のち京都府知事)が信用保証協会を設立する方策を示し、県単位の信用保証協会なら大蔵省も認めるので県に働きかけるよう示唆した。これを受けて蓮池県知事が協会設立を県議会に諮ったものの、議会からの反発が強く、市単位での協会設立を目指さざるを得なかった。しかし人口5万人程度の市での信用保証協会設立は前例のないものであり、問題は再び銀行局長の愛知の元に持ち込まれた。愛知は一晩考えた末、将来、県で協会を設立する際は無条件で吸収合併することを条件に、能代市信用保証協会の設立を認可し、同協会は7月から業務を開始している。
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