金融コンツェルンとは? わかりやすく解説

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金融コンツェルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 07:43 UTC 版)

コンツェルン」の記事における「金融コンツェルン」の解説

日本財閥持株会社利用し同族性を維持した戦前三井三菱住友安田などが例である。三井とロンドンロスチャイルド家のコンツェルンは、全体資産統合し本社合名会社として、傘下株式会社化した子会社置いた日本等では財閥解体徹底されなかったので、事業会社抜け道株式の持ち合いが行われた。資本の自由化により1980年代から旧財閥グループひたすら機関化していった。2005年頃から現れ始めたホールディングス」、「グループ本社」、「フィナンシャル・グループ」は、機関化され持株会社であるが、それ自体機関投資家である。これは金融コンツェルンである。金融コンツェルンは機関投資家である。ヴァイマル共和政下ハイパーインフレーション数多く設立された。金融コンツェルンもコンツェルンである。発祥地ドイツコンツェルン表現されるものは単に「親子型の企業グループ」を意味する過ぎず経済学者下谷政弘日本でのコンツェルン使い方誤用であると自著新興コンツェルン財閥理論と歴史』で指摘する。 金融コンツェルン(いわゆる金融資本)は、ドイツ銀行保険業だけではない。ロックフェラー家JPモルガンは金融コンツェルンの代表である。デュポンメロン財閥も同様である。金融資本生保などの機関投資家自身証券タンクしてしまい1907年恐慌)、戦後拡大したシャドー・バンキング・システムレポ借入れ先として機関投資家あてがった預金金利独占価格でないかに見える。しかしアメリカ金融資本連合して連邦準備制度創設からずっと貿易金融事実上独占しUSドル今日まで基軸通貨据え置くことで、市場金利高止まりするような構造つくったのであるイーヴァル・クルーガーマッチ帝国も金融コンツェルンであった。もっとも、この場合国際金融粉飾決算が行われたから金融コンツェルンといっているのであって実態マッチ独占価格形成する事業コンツェルンであったマッチ関係ないエリクソンなどを買収するといった、意図分からない戦略展開したこういう事例存したので、コンツェルンコングロマリット大差はないといわれることが往々にある。実際戦後において、アメリカ系多国籍企業ひたすら拡大経営走った

※この「金融コンツェルン」の解説は、「コンツェルン」の解説の一部です。
「金融コンツェルン」を含む「コンツェルン」の記事については、「コンツェルン」の概要を参照ください。

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