金融コンツェルン
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日本の財閥は持株会社を利用し同族性を維持した。戦前の三井、三菱、住友、安田などが例である。三井とロンドンロスチャイルド家のコンツェルンは、全体の資産を統合し、本社を合名会社として、傘下に株式会社化した子会社を置いた。日本等では財閥解体が徹底されなかったので、事業会社を抜け道に株式の持ち合いが行われた。資本の自由化により1980年代から旧財閥グループがひたすら機関化していった。2005年頃から現れ始めた「ホールディングス」、「グループ本社」、「フィナンシャル・グループ」は、機関化された持株会社であるが、それ自体も機関投資家である。これは金融コンツェルンである。金融コンツェルンは機関投資家である。ヴァイマル共和政下のハイパーインフレーションで数多く設立された。金融コンツェルンもコンツェルンである。発祥地のドイツでコンツェルンと表現されるものは単に「親子型の企業グループ」を意味するに過ぎず、経済学者の下谷政弘は日本でのコンツェルンの使い方は誤用であると自著『新興コンツェルンと財閥―理論と歴史』で指摘する。 金融コンツェルン(いわゆる金融資本)は、ドイツの銀行・保険業だけではない。ロックフェラー家やJPモルガンは金融コンツェルンの代表である。デュポンとメロン財閥も同様である。金融資本は生保などの機関投資家を自身の証券タンクにしてしまい(1907年恐慌)、戦後は拡大したシャドー・バンキング・システムのレポ借入れ先として機関投資家をあてがった。預金金利は独占価格でないかに見える。しかしアメリカの金融資本は連合して、連邦準備制度の創設からずっと貿易金融を事実上独占し、USドルを今日まで基軸通貨に据え置くことで、市場金利が高止まりするような構造をつくったのである。 イーヴァル・クルーガーのマッチ帝国も金融コンツェルンであった。もっとも、この場合は国際金融と粉飾決算が行われたから金融コンツェルンといっているのであって、実態はマッチの独占価格を形成する事業コンツェルンであった。マッチと関係ないエリクソンなどを買収するといった、意図の分からない戦略も展開した。こういう事例が存したので、コンツェルンとコングロマリットに大差はないといわれることが往々にある。実際戦後において、アメリカ系の多国籍企業がひたすら拡大経営に走った。
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