金剛語録
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1975年7月場所は前頭筆頭ながら三役力士全員に黒星を付け、特に北の湖敏満からは金星を再度奪うなど快進撃を続け、13勝2敗で幕内最高優勝を果たした。千秋楽の鷲羽山戦では鷲羽山の素早い動きに翻弄され、土俵際に追い詰められたものの、右の上手投げで辛勝。普段から勝ち星が増えるに連れて金剛の奔放な言動がユーモラスだと話題になっていたが、幕内最高優勝を果たしたこの場所は特に冴え渡った。 初日:「立ち合い遅れたが、右上手を取れば何とかなるさ。」(○三重ノ海) 2日目:「初顔でやりにくかったが、稽古の蓄積が物を言ったよ、わっはっは。」(○玉ノ富士) 3日目:「俺なんかに簡単に負けるようじゃ貴ノ花も重傷だな。だけどこれは番狂わせじゃないよ、実力通りだ。」(○貴ノ花) 4日目:「今日は何となく負ける気がした。計算通りにはいかん。」(●栃東) 5日目:「巨人軍V9の川上監督が『連勝はいくらしてもいいけど、連敗は2で止めとけ』って言ってた。いくら実力があっても自信を無くすから。」(●旭國) 6日目:「明日は横綱戦か、今の北の湖には負ける気がしない。しかし明日勝って休場させたら協会が困るだろうな、へっへっへ。」(○長谷川) 7日目:「(北の湖を倒して)もうちょっと汗かきたかったな。相撲で汗をかかずにテレビのライトで汗かくなんて、おかしな話だよな。」(○北の湖) 8日目:「セ・リーグと同じゲーム差0で首位に並んだな。しかし中日みたいに1日天下じゃ終わらない。明日は新聞休刊日?じゃあもう喋らないよ。」(○若三杉) 9日目:「明日勝ったら優勝を考えなくてはならない。紋附きを東京から送ってもらおうか。麒麟児と青葉城が来るけど決定戦なら年功序列で(優勝は)俺のものになる。優勝は二所ノ関部屋がもらった。」(○黒姫山) 10日目:「大関(魁傑)さん、気の毒だったね。俺、言いたい放題言っているけど、ここに来て横綱大関という地位がいかに重いかわかったような気がするよ。」(○魁傑) 11日目:「酒を飲んでも美味くない。夜もほとんど寝附けない。オレもデリケートだな。ナポレオンは3時間しか寝なかったけど、金剛は2時間で充分だ。」(○富士櫻) 12日目:「旭國の奴が、俺の腕をさすりながら『天皇杯は重いよ、大丈夫かい?』なんて言いやがるから、緊張してしまうよ、まったく。」(○高見山) 13日目:「もし親方が今も元気だったら、今回の活躍を喜んでくださっていただろうな…。」(○荒瀬) 14日目:「もうここまで来たら賜盃は誰にも渡さん。半田までパレードするのは手が痺れるから、自動手振り機でも作らなければならない、はっはっは。」(○増位山) 千秋楽:「今日の語録?ホラ見たか、いつものホラとは違う。『真実とは戦いに勝つことにある』。ホラがホラでなくなったから『ホラ見たか』だ。それにしても賜盃って重いねぇ。」(○鷲羽山) 金剛の奔放な言動は「金剛語録」と呼ばれた。
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