重定古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 09:51 UTC 版)
重定古墳は筑後川左岸に位置する前方後円墳であり、朝田古墳群に属する。築造時期は6世紀後半とされる。1922年(大正11年)3月8日には、近接する楠名古墳と共に国指定の史跡となっている。 前方部はすでに失われているため現存長は51mあるが、築造時の全長は80mほどと推定されている。後円部径は44mあり、高さは8.5mである。後円部の南側には全長17m、高さ3.8mの横穴式石室があり、6mある羨道で外に繋がっている。安山岩の巨石が用いられているのが特徴で、奥壁や側壁、腰石や天井石にはいずれも一枚岩が用いられている。また奥壁には巨石を用いた石棚が配置されている。 石室の壁面には、赤色や緑青色の顔料によって靫(矢を入れて携帯するための容器)や同心円文、蕨手状文が描かれている。後室には主に靫を描き一部に同心円文が見られるのに対し、前室には主に同心円文が描かれており、後室と前室では文様構成が異なっている。この靫や同心円文などによって構成される壁画が「筑紫文字」である。 戦時中に防空壕として使われていたほか、戦後の考古学ブームで多くの人が押し寄せた事で文字や壁画が傷んでしまっており、肉眼で確認しにくくなっている。昭和37年に東京芸術大学の教授である日下八光によって壁画の復元図(推定したもの)が作成された。現在は、うきは市歴史民俗資料館に保管されているほか、拡大したものがうきは市立図書館の入り口に展示されている。 当時は相当多数の土器や鉄器があったようで、地元の人々が用があるときに古墳にお願いして器を借りていたが、強欲な者が返さなかった為に失われたという言い伝えが残っているという。 同じ福岡県の嘉穂郡桂川町には王塚古墳があり、靫や同心円文など重定古墳と共通する壁画が見られる。このような装飾古墳は九州の北部に分布が集中している。
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