都市化と別荘化とは? わかりやすく解説

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都市化と別荘化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 01:54 UTC 版)

本庄村 (兵庫県武庫郡)」の記事における「都市化と別荘化」の解説

世帯数人口明治38年1905年)488 3021 明治42年1909年)572 3677 大正3年1914年825 4027 大正9年1920年)1404 6140 大正14年1925年1719 8089 昭和5年1930年1972 9437 昭和10年1935年)2285 11141 昭和15年1940年)2858 13737 元々本庄村深江青木の二ヶ所に中心があり、集落間や北側には耕地広がっていた。しかし明治38年1905年)に阪神本線開通し深江駅青木駅開設された事により、仕事求め労働者海浜別荘地求め富豪など村外からの移住者急増して都市化進行した大正10年代になると深江東南部芦屋隣接する神楽新田(のち神楽町)を中心として別荘邸宅が並ぶ海浜住宅地となっていった。戦前には十数軒の外国人別荘が立ち並び神楽町には深江文化村呼ばれる洋館群が出現した。 これに対し阪神本線から阪神国道国道2号)までの地域区画整理がされたものの、宅地化進行戦後高度成長期まで待たれる事となる。 大正10年1921年)に本庄村工業地域神楽町は除く)として神戸都市計画区域編入される訳だが、この時、本庄地域馬蹄型の運河掘って阪神国道と接させて一大集散地とし、掘削した土砂深江海岸埋立てようという計画があった。この計画は北の本山村合同計画で、阪神間唯一の商工業地が目論まれたものの、莫大な工費がかかる事もあってか、実現はされなかった。 こうして深江東部別荘地として、青木工業地としての発展を見ることとなった本庄宅地化阪神間他の地域較べれば緩やかなものであったが、甲南工場爆撃された際や同20年6月5日8月6日受けた空襲によって死者436名・負傷者225名が出、青木・深江地区の町屋長屋農家漁師家屋などの伝統建築多く焼失し跡地には最初バラック、ついでモルタル塗り簡素な木造建築建てられた。その後国道43号敷設によって最も繁華な市街立ち退きを受け、さらに平成7年1995年)の阪神・淡路大震災により数少ない伝統的建築失われた

※この「都市化と別荘化」の解説は、「本庄村 (兵庫県武庫郡)」の解説の一部です。
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