都市化と西部開拓の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 05:59 UTC 版)
「アメリカ合衆国の警察」の記事における「都市化と西部開拓の進展」の解説
「アメリカ合衆国の歴史 (1789-1849)」および「アメリカ合衆国の歴史 (1849-1865)」も参照 独立後のアメリカの発展とともに、特に都市部での人口増に伴う犯罪率の増加と凶悪化が問題となった。この状況に対して、独立期以来の伝統的な公安職では対応困難であり、都市部にあわせた対策が求められた。まず1833年、フィラデルフィアに24名の昼間警察官と120名の夜警員による警察が発足したが、これは財政上の理由から2年間で廃止された。続いて1838年、ボストン市のマーシャルの指揮下に、コンスタブルと同じ権限を持つ専任の警察官が任命された。またまもなく、ニューヨークやフィラデルフィアでも同様の市警察組織が発足し、自治体警察の端緒となった。 独立十三州を始めとする東部では上記のような制度が整備されていた反面、西部開拓時代のフロンティアでは管轄人口が少ないこともあって統治機構自体が小規模で、1人で多役を兼任することも多く、シェリフやマーシャル、コンスタブルの区別も曖昧になっていた。また特に開拓の最前線は実質的に無政府状態となっており、犯罪率も高かったのみならず、西部開拓はアメリカ先住民族の生存圏への侵略でもあったことから、彼らとの武力衝突も頻発していた。このため、開拓民は自警団を組織するとともに、銃の名手を用心棒として雇うことが多かったが、この用心棒もシェリフやマーシャルと呼ばれていた。 また開拓団の入植地ではこのような施策が講じられたものの、これらの間にある平原地帯は全く無政府状態であった。このため、ここを通行する銀行や鉱山の貴重品輸送車両や駅馬車、鉄道などの各事業者は自衛策を講じなければならなかった。当初は各事業者が個々に護衛を手配していたが、やがてピンカートン探偵社のような警備会社として組織化が図られた。
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