遺跡の立地と概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:32 UTC 版)
遺跡は松原市の南西端に位置し、7世紀前半に築かれたため池である狭山池より下流する西除川の左岸を南北に走る泉北台地上に立地する。遺跡の標高は南端が約25メートル、北端が約20メートルと南に向かい傾斜している。台地は更新世の堆積物からなり、台地上は開析が進み窪地や浅い谷が発達している。また、台地上にはこれらの地形を堰き止める形でため池が築かれており、遺跡範囲内には尻池・新池・古池が存在する。 かつては、河合遺跡と河合西遺跡の2つの遺跡として周知され弥生時代の石鏃が表採されることで知られていた。その後、遺跡の範囲が拡大し河合遺跡として周知されている。これまでに主に飛鳥時代から鎌倉時代の掘立柱建物跡が発掘されており、他に飛鳥時代以降に開削された大溝(河合大溝または丹比大溝)や奈良時代の地方官衙も発掘されている。飛鳥時代から奈良時代の遺構では、漆容器・墨書土器・銅製錘・神宮開寶・斎串や人形(ひとがた)などの木製品が出土している。
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遺跡の立地と概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 08:18 UTC 版)
金生遺跡縄文時代の集落跡や祭祀施設と、中世の城館跡や集落跡が複合した遺跡。 県北西部に位置し、八ヶ岳南麓の尾根上に立地する。標高は760-80メートル付近。旧大泉村域の最南部に位置し、縄文遺跡が集中する北側をA地区、中世の遺跡が集中する南側をB地区として区分されている。 A地区の縄文遺跡では、住居址群と配石遺構や石組など埋葬施設や祭祀施設が複合した遺跡であることが特色とする。八ヶ岳山麓は縄文時代の遺跡が濃密に分布する地域で、富士山や奥秩父連山をはじめ、後世に信仰の対象となった山々を望むことができる立地にあり、北杜市大泉町域でも縄文前期後半の天神遺跡をはじめ大規模な集落遺跡が見られ、祭祀的遺構も多い。 金生遺跡は気候が寒冷化し遺跡数も減る縄文後晩期の遺跡で、山梨県内でも同時期には集落跡と祭祀施設が複合した遺跡が出現している。
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