遺物とミイラとは? わかりやすく解説

遺物とミイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:54 UTC 版)

KV35」の記事における「遺物とミイラ」の解説

元々はアメンホテプ2世の墓であったが、その広さによって盗賊一家の「財宝隠し場所」として使われた。また、エジプト第20王朝21王朝時代歴代ファラオミイラ管理一斉に行われ、この王墓ミイラ管理場所として使用されてきた。1898年、ヴィクトール・ロレによって墓が発見された際、元々の被葬者であるアメンホテプ2世の他に、十数体の王族ミイラ置かれていた。 以下は身元判明している王族ミイラである。 アメンホテプ2世彼の石棺入って見つかったこの墓の所有者トトメス4世(第18王朝8代ファラオ) アメンホテプ3世(第18王朝9代ファラオ) メルエンプタハ(第19王朝4代ファラオ) セティ2世(第19王朝6代ファラオ) サプタハ(第19王朝7代ファラオ) ラムセス4世(第20王朝3代ファラオ) ラムセス5世(第20王朝4代ファラオ) ラムセス6世(第20王朝5代ファラオ) ティイ(アメンホテプ3世の妻であり、ツタンカーメン祖母にあたる。2010年DNA鑑定身元特定された) アメンホテプ2世息子。ウェベンセヌウ、またはアメンホテプ3世ティイ長男であトトメスとして特定され王子 若い方の淑女(通称Younger Lady.略称はKV35YL) このうちティイ王妃ミイラ王子のウェベンセヌウと思われるミイラ若い方の淑女ミイラは床に並べて置かれていた。 2003年6月英国エジプト学者、ジョアン・フレッチャーによってネフェルティティであると主張され若い方の淑女対しエジプト考古学者でありカイロ博物館長であるザヒ・ハワスはそれがキヤミイラであると考えていた。また、このミイラ男性であるという憶測飛び交ったが、2010年DNA鑑定結果、このミイラ女性であり、ツタンカーメン母親であり、アメンホテプ3世ティイの娘であると判明した。彼女はアメンホテプ4世(別名アクエンアテンツタンカーメン父親)の姉妹であり、妻である。しかし、彼女の名前不明のままであり、彼女がネベティア、又はベケトアテンのどちらかであるとされるセトナクト(又はタウセルト女王(エジプト第19王朝8代ファラオ))の名前が刻まれ(ひっくり返され置かれていた)の中にいた『船の中のミイラ』こと「Unknown Woman D」 別の墓から、タウセルト女王思われる老女ミイラ発見されているため、船の中のミイラセトナクトミイラとされる。しかし、セトナクト統治短かったことや、書かれ説明書きとミイラ性別一致しないことや、セトナクト統治期の資料がとても少ないことで、このミイラ身元不明のままである。さらに20世紀初頭、このミイラ損壊されてしまったため、更に謎が深まってしまった。 更に井戸中に2つ頭蓋骨が見つかり、上記の「若い方の淑女」と一緒に身元不明の腕が発見された。

※この「遺物とミイラ」の解説は、「KV35」の解説の一部です。
「遺物とミイラ」を含む「KV35」の記事については、「KV35」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「遺物とミイラ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「遺物とミイラ」の関連用語

1
KV35 百科事典
10% |||||

遺物とミイラのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



遺物とミイラのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのKV35 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS