遺物の採集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:23 UTC 版)
遺跡の発見は古く、山中樵が収集した玦状耳飾が陸奥国名取郡「三神崎遺跡」出土として梅原末治の玦状耳飾出土遺跡地名表(梅原1922)に掲載されたのが最初である。1928年には東京帝国大学人類学教室「石器時代遺物発見地名表第五版」に掲載された。1929年には、山内清男が「繊維土器について 追加第一」(『史前学雑誌』第1巻第3号所収)において、三神峯遺跡で山崎正文君と三年ばかり前に採集した土器に当時の最古の土器である繊維土器がかなりあると、報じた。翌30年には松本彦七郎がこれまで発表を差し控えていた資料を、予報としてひとまず報告するとし、三神峯遺跡ほかの収集資料について解説し、三神峯遺跡資料は「大木式」の範疇でとらえられるとした。 戦後の1950年には、『仙台市史3』別編1で伊東信雄が「仙台市内における最も古い遺跡」として、三神峯遺跡を紹介した。
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