遺物の運命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 08:21 UTC 版)
1791年4月29日、歴史家タデウシュ・チャツキは棺から頭蓋を取り出し、その後数年の間ポリツク(現ウクライナ領パヴリフカ)に自分の資産として保管していた。1796年11月4日、それをイザベラ・チャルトリスカ公爵夫人に譲渡し、イザベラは当時プワヴィに設立されつつあった美術館の蒐集品の中に加えた。11月蜂起で没落した後、頭蓋はパリへ運ばれ、サン=ルイ島のランベール邸に保管された。現在ではクラクフのチャルトリスキ美術館にあるが、これは1874年以降に持ち込まれたものである。しかしながら古人類学者によればこれはほぼ間違いなく女性の頭蓋だというのである。百歩譲って男性のものであったとしても、ズヴォレンにある胸像とはあまりにも顔立ちが違いすぎるという。2010年に考古学的調査とコンピュータによる復顔によって証明されたのは、本当にコハノフスキの頭蓋は40歳ほどの女性の頭蓋であり、詩人の妻のものであるかもしれないということであった。 1830年にズヴォレンの教区司祭が霊安所からコハノフスキ一家の棺をすべて取り除き、教会建物の近くにある家族用の集団墓地に運んでいる。1983年に霊安所、正確には建物の地下にある修復された霊安所の大理石の石棺に戻されている。1984年4月21日、コハノフスキの追葬記念式が行われた。
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