遺物の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 14:26 UTC 版)
上に挙げた品物の意匠は保守的で、また技術面でも原始的であり、特に金属器では古い時代の影響が色濃く残っている。また小規模の、特徴のある集団墓地も何か所か見つかっている。そのためこのビーカーの主な普及者、すなわち「ビーカー民」(The Beaker folk)としては、いわゆるロマ(ジプシー)のような類の放浪民の専門手工業者(とくに金属類を扱える専門職として鋳掛け屋)が考えられる。そして、これらの遺物はこういった人々がヨーロッパ西部や南部にこのとき最初に出現し、各地を移動放浪して回った結果このような広い範囲に文化的な共通性をもたらしたことを示唆しているものと見られている。 これら金属製品には希少なものもあり、そういうものは、とくに社会の上層の人々による宗教儀式にも使われたであろうと見られている。また、丁寧に作られた、儀式用とみられるビーカーも広く見つかっており、こういった理由からこの地域では異なる言語集団ないし民族集団の間での、主として放浪民を介した交易がだいぶ盛んであったものと推定されている。 このビーカーの存在は、蜂蜜酒(ミード)が当時広く飲まれていたことを示唆している。(のちに、ケルト語派の諸言語が急速に広まる鉄器時代に入ると、南方からこの地域に葡萄酒(ワイン)を飲む習慣が入ってきており、西ヨーロッパ一帯のケルト人の上流階級の墓からはワインを飲むための道具が見つかるようになる。) この地域の各地ではときおり一か所に大量のビーカーが見つかるが、これらはこの地域の住民の多くが頻繁に移住し、各地に入ったり出ていったりしていたことを示しているのか、あるいはそれとも、移住者の出入りがとくに頻繁でないところであっても、もともと社会的地位を示すほど貴重品だったビーカーが時代を下るごとに普通の日用品になってたくさん作られ消費されていった過程を示しているのか、そこははっきりしていない。おそらくそのどちらでもあっただろうと見られている。
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