選手としての特徴・エピソード
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「チッパー・ジョーンズ」の記事における「選手としての特徴・エピソード」の解説
MLBを代表する強打のスイッチヒッター。スイッチヒッターとしてはミッキー・マントル(536)、エディ・マレー(504)に次ぐ歴代3位となる通算468本塁打を記録し、400本塁打越えで打率3割以上を残している唯一の打者。また、出場1000試合以上で通算の打率・出塁率・長打率がそれぞれ3割・4割・5割を超えている唯一のスイッチヒッターである。 一方、卓越したミート力や非常に優れた選球眼で、通算の四球が三振を上回っている数少ない選手でもある。2018年にアメリカ野球殿堂入りを果たした際には「左右両方の打席で堅実な打撃を求めていた」「通算で三振より四球が多いのは自分にとって良かったこと」と述べている。 2004年から2008年には怪我の影響で欠場が増えているが、2006年にはMLBタイ記録の14試合連続長打、2007年はOPSがリーグ1位、2008年には首位打者に加え出塁率もメジャー全体トップ、OPSはナ・リーグ2位を記録するなど、年齢を重ねても打力は衰えていなかった。 エピソード 本名は先述の様に「ラリー」だが、渾名だけでなく公式登録名も「チッパー・ジョーンズ」なのは本人が「ラリー」という名前を非常に嫌っている為である。嫌っている理由は、アメリカの著名なコメディーグループである三ばか大将のメンバーの1人で、お茶の水博士の様な独特なヘアスタイルと大袈裟なリアクションで人気だった「ラリー」と同名であり、これが原因で幼い頃からからかわれ続けた(「なぜもじゃ毛じゃないんだ?」など)為である。これを逆手に取って他球団のファンが「ラリー」と呼んで野次ることがしばしばある。 1964年から2008年までメッツの本拠地だったシェイ・スタジアム(Shea Stadium)で好成績を残したことから同球場を気に入っており、三男にシェイ(Shea)と名付けた。
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選手としての特徴・エピソード
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「備前喜夫」の記事における「選手としての特徴・エピソード」の解説
身長170センチ、体重60キロと小柄ながら、強いリストを効かしたキレのいい直球に、縦に大きく割れるカーブと石本秀一監督直伝といわれるシンカーで、長谷川良平と並んでエースとして草創期の弱小カープを支えた。特にシンカーは、藤村富美男に「手が腫れるから打ちとうない」と言わせるほどの威力があり、シンカーというよりシュートに近い球を投げていたものと思われる。 また、子鹿のように飛び跳ねるピッチングフォームから「バンビ」というニックネームで親しまれた。 1957年に背番号を「14」から「16」に変更した。これは直近2年と自己最高成績が背番号「14」での13勝止まりだったことから「背番号を16に変えれば15勝はいける」という験担ぎだった。そして変更した1957年に6年目にして初の20勝を挙げた。またこの年から、「大田垣」から夫人の姓である「備前」に改姓していた。
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