迅速な攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:01 UTC 版)
「イラク戦争の年表」も参照 2003年3月19日に開戦を宣言すると、翌3月20日には制空権が確実な状態で陸上部隊が進攻を開始した(イラク侵攻 (2003年)(英語版))。ウムカスルやルメイラ油田を攻略し、南部最大の都市バスラの攻防戦で幾分足止めを食らうが、制圧した。鉄道と道路沿いを西に向かい、ナーシリーヤでクートに北上する部隊とサマーワを経てユーフラテス川沿いにヒッラを目指す部隊に分かれ、4月にバグダードで合流して突入し、これを攻略した。なお、この攻略に際しては、米進攻部隊が途中で待ち伏せ攻撃に苦しんでいるとのニセ情報を出し、バグダード市内にいた共和国防衛隊、特別共和国防衛隊の戦車などをおびきだし、それらが進攻部隊攻撃のため市内を出たところを、空爆によって大半を破壊した。(これは市内での空爆の困難さから、市街地の外に戦車などをおびきだした戦術といえる。) 合わせて北部のモスル、ティクリート、キルクークには空挺隊が攻略し、西部の砂漠地帯も同様に攻略した。全土の攻略に1ヶ月強というすさまじい速さでの占領であった。その迅速さは、戦争開始前後から積極的にメディア工作をおこなっていたサッハーフ情報大臣がバグダードの平穏を強弁しているその後ろを米軍戦闘車両が通過する、といった映像が放映される一幕を演出するほどであった。 2003年12月13日にイラク・ダウルにおいてJSOC隷下の陸海空軍特殊部隊やCIAの特殊作戦要員などで構成される任務部隊(タスクフォース)、「タスクフォース121」の司令官を務めたウィリアム・マクレイヴン准将は、アメリカ陸軍第4歩兵師団第1旅団との合同作戦として展開された「赤い夜明け作戦」(“Operation RED DAWN”)において、元イラク共和国大統領で、当時逃亡中であったサッダーム・フセインの捕獲に成功する戦果を挙げた。
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