軍備費手形の導入決定
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1933年に首相に就任した際、ヒトラーはライヒスバンク総裁で元首相のハンス・ルターに対し、軍事費のためにどれだけ調達できるかを問いただした。ルターは1億ライヒスマルクが限度であると答えたが、これはヒトラーを大いに失望させた。3月中旬、ヒトラーは元ライヒスバンク総裁ヒャルマル・シャハトに同じ質問をしたところ、シャハトは具体的な金額をあげなかったものの、軍拡に協力すると述べた。これによりルターは解任され、シャハトがライヒスバンク総裁の座につくこととなった。 当時、ライヒスバンクは過去のハイパーインフレの経験から、信用供与の限度額が1億ライヒスマルク、国庫手形割引は4億ライヒスマルクに制限されていた。このため軍拡の資金調達には特別な方策が必要であった。4月4日、政府はルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク財務相に対し、「国防軍の再編成に必要な資金を、その源泉を顧慮することなく、意図される措置が国の内外の世論によっていかなる点も見破られることがない規模と形態において準備し、提供する」指示を発出した。この指示で意図されていたのは予算外による調達、つまり手形によるものであった。また、この閣議決定によって、国防省(ドイツ語版)の支出は財務省の監督から離れることになり、ほとんど意図通りの軍拡が行われることになった。 軍備費手形の導入が決定されたのは、1933年5月から6月の間であったと見られている。シャハトは軍備費として、8年間に350億ライヒスマルクの資金調達を、以下の条件の下で行うことを約束している。 総額が350億ライヒスマルクを超えないこと 短期金融市場及び資本市場の統制 遅くとも5年以内に軍備手形の償還を開始すること 価格及び賃金の現行水準を堅持すること 総額350億ライヒスマルクについては、軍備費手形の総額であったという意見もあるが、クロージクは手形発行額の総額は決定されていなかったと証言しており、国防軍経済・軍備局のトレーヴスも、350億ライヒスマルクは軍の総支出であるという見解を示している。 シャハトはこれらの措置が景気回復の切り札となると考えており、さらにライヒスバンクが国防省や財務省に対して優位に立てるというもくろみもあった。また、ヒトラーの要求する過度な軍拡が通貨を危機に陥れ、戦争にもつながる危険があると述べている。シャハトはこれを踏まえ、通貨危機を招かない、そして戦争を起こさない程度の軍拡を前提としてメフォ手形を考案したとしている。シャハトによればメフォ手形は「危険」ではあったが、理性的な財政管理と結びついていれば制御は可能であり、5年以内に償還を行えば成功裏に終わったとしている。
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