軍事上の要衝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:15 UTC 版)
軍事上の要衝であるチョークポイントの一つである。 ロシア帝国との関係が悪化した1902年には宗谷岬に望楼が設置され、日露戦争中は、対馬海峡、津軽海峡とともに、ロシアバルチック艦隊の通航監視の重要拠点とされていた。 第二次世界大戦が始まった1941年12月8日、海軍省は海峡一帯を宗谷海峡方面防禦海面(東端は宗仁岬、野寒岬を結ぶ線、西端は知志谷埼、二丈岩、時前埼を結ぶ線)に指定して防禦に当たった。 1943年、アメリカ海軍は宗谷海峡から潜水艦を日本海へ侵入させて3回通商破壊戦を行った。10月11日、日本海での通商破壊戦を終えて宗谷海峡経由で太平洋へ出ようとした潜水艦ワフーが、宗谷海峡を浮上通過中、宗谷臨時要塞に発見され砲撃を受ける。その後、日本海軍及び日本陸軍の航空機に捕捉され、航空機・駆潜艇・掃海艇の連携攻撃によって撃沈され、ダドリー・W・モートン艦長以下ワフーの乗組員が全員戦死した。この戦闘とワフーの日本海での襲撃活動によって生じた犠牲者の慰霊と平和を祈念する碑が宗谷岬に建立されている。ワフー撃沈により、アメリカ海軍の日本海侵入作戦は1945年のバーニー作戦まで中止された。 領海法に基づく領海の幅が通常の12海里(約22.2 km)から3海里(5.556 km)にとどめられた特定海域の一つで、核兵器を搭載した外国の軍艦を含め自由に通過することができる(通過通航権)。 野寒布岬(稚内分屯地)及び宗谷岬背後の宗谷丘陵丸山に自衛隊の、樺太・西能登呂岬(サハリン島・クリリオン岬)にはロシア軍のレーダーサイトがそれぞれ設置されている。
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